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熊本地方裁判所 昭和45年(ワ)869号 判決 1976年3月29日

原告

右代表者

法務大臣

稲葉修

右訴訟代理人弁護士

篠原一男

右指定代理人

田中貞和

外一五名

被告

熊本大学生活協同組合

右代表者理事

久保田一郎

外八名

右訴訟代理人弁護士

井上正治

外一名

主文

一  被告は原告に対し、別紙第二目録の建物のうちの①の部分および②の部分を明渡し、かつ一二七万四七四八円およびうち一二二万一六〇八円に対する昭和五〇年八月一一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を、昭和五〇年八月一一日から右明渡済に至るまで一か年七〇万三七六一円の割合による金員およびこれに対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済に至るまで年二分五厘の、右明渡の日の翌日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員をそれぞれ支払え。

二  被告は原告に対し、一二六万九九〇六円およびうち九九万三一一一円に対する昭和五〇年四月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

五  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一  請求の趣旨

被告は原告に対し、

一、別紙第一目録の1の建物のうちの①の部分、同2の建物のうち②の部分、同3の建物のうち③の部分、同4の建物のうちの④の部分、同5の建物のうち⑤の部分、同6の建物のうち⑥の部分および同7の建物を明渡し、かつ昭和五〇年八月一一日から右明渡済に至るまで一か年二一六万八二五一円の割合による金員およびこれに対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済に至るまで年二分五厘の、右明渡の日の翌日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を支払え。

二、別紙第二目録の建物のうちの①の部分および②の部分を明渡し、かつ昭和五〇年八月一一日から右明渡済に至るまで一か年七〇万三七六一円の割合による金員およびこれに対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済に至るまで年二分五厘の、右明渡の日の翌日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を支払え。

三、別紙第三目録の動産を引渡し、かつ昭和五〇年八月一一日から右引渡済に至るまで一か年一四万二三二二円の割合による金員およびこれに対する昭和五〇年八月一二日から右引渡済に至るまで年二分五厘の、右引渡の日の翌日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を支払え。

四、二二二五万三四五二円およびうち六〇八万四四九三円に対する昭和五〇年四月一日から、四万六三六〇円に対する昭和五〇年四月二六日から、四万三七六七円に対する昭和五〇年四月二九日から、一三五六万一一〇三円に対する昭和五〇年八月一一日からそれぞれ支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

五、訴訟費用は被告の負担とする。

六、仮執行宣言

第二  請求の趣旨に対する答弁

一、原告の請求はいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

(当事者の事実上の陳述)

第一請求原因

一、原告は熊本市黒髪町大江本町地区に国立熊本大学(以下熊大という。)を設置しているものであり、被告は右熊大の教職員および学生を組合員とし、消費生活協同組合法にもとずき昭和四二年六月三〇日設立(登記)された組合である。

二1(一) 熊大は昭和四二年七月一日被告に対し、国有行政財産である別紙第一目録の1の建物のうちの①の部分(以下、第一目録の①の部分という。)、同2の建物のうち②の部分(以下、第一目録の②の部分という。)、同3の建物のうちの③の部分(以下、第一目録の③の部分という。)、同4の建物のうちの④の部分(以下、第一目録の④の部分という。)および同5の建物のうちの⑤の部分(以下、第一目録の⑤の部分という。)につき、国有財産法第一八条第三項の規定に基づいて、おおむね次のとおりの条件を付して使用許可を与えた。

イ 使用許可期間  昭和四二年七月一日から昭和四三年三月三一日までの間

ロ 使用料  無償とする。

ハ 経費の負担等  当該建物の維持保存のための通常必要とする経費および当該建物における電気、ガス、水道の各使用料は被告の負担とする。なお、被告は毎月の使用料を大学が指示する期日までに支払うものとする。

ニ 使用許可の取消または変更  学長は次の各号の一に該当するときは、使用許可の取消または変更をすることができる。

使用を許可された者が許可条件に違背したとき

国において使用を許可した物件を必要とするとき

ホ 原状回復  学長が使用許可を取消したときまたは使用を許可した期間が満了したときは、使用を許可された者は、自己の負担で、学長の指定する期日までに使用を許可された物件を原状に回復して返還しなければならない。ただし学長が特に承認したときはこの限りでない。

(二) 昭和四二年七月一日熊大は被告との間で右使用許可条件にもとづき、右使用許可に係る建物の電気料および水道料等の具体的支払方法等について覚書を交換した。その覚書により、被告が使用した電気および水道等の料金(以下水光費という。)は被告が全額負担し、被告はその毎月の負担額を熊大が指示する期日までに熊大に対し支払うものとされた。

2(一) 熊大は被告に対し、同年一二月一日別紙第一目録の6の建物のうちの⑥の部分(以下、第一目録の⑥の部分という。)につき、使用期間を同日より昭和四三年三月三一日まで、また、昭和四四年五月一〇日別紙第一目録の7の建物(以下、第一目録の7の建物という。)につき、使用期間を同日より昭和四五年三月三一日までとするほか、いずれも前記1の(一)と同一条件で使用許可を与えた。

(二) これらについても右使用許可のあつた日にそれぞれ水光費の負担方法等につき前記1の(二)と同一内容の覚書を交換した。

3 その後、熊大は第一目録の②ないし⑥の部分については年度毎に、また、同①の部分については三ケ月毎に、その使用許可を更新してきた。

三1  熊大は、前記使用許可に付帯して、使用許可のあつた第一目録の①、②あるいは⑥の部分のうちの各厨房において原告が所有する別紙第三目録(以下、第三目録という。)の1ないし46の動産を昭和四二年七月一日、同47ないし56の動産を同年一二月一日、同57の動産を昭和四三年七月一九日、同58の動産を同年一二月一五日、いずれも返還の時期を定めることなく、無償で使用させた。

2  熊大が被告に右動産を使用させた関係は、前記使用許可のあつた厨房内において、熊大物品供用官がその管理の下にある当該動産を事実上供用させたもので、物品管理法二条二項所定の「供用」である。

四1(一) 昭和四五年一月三一日被告から第一目録の①ないし⑥の各部分および7の建物(以下、第一目録の被告使用部分という。)の昭和四五年度(昭和四五年四月一日から昭和四六年三月三一日まで)使用許可の更新願が提出されたが、熊大は被告に対し、後記2の(四)の警告書を発した後、昭和四五年三月二六日ころ被告到達の書面をもつて昭和四五年四月一日以降は第一目録の被告使用部分の使用許可をしないので、同月一四日限り明渡すべき旨の意思表示をした。

(二) よつて、第一目録の被告使用部分の使用権は、同年三月三一日使用許可期間の満了により消滅したから、被告には同年四月一四日までにそれを明渡す義務が生じた。

なお、本件のような行政財産の目的外使用の場合、実際の運用にあたつては、昭和三三年二月一四日付文部省大臣官房会計参事官通知国会第六号および昭和四五年二月一三日付文部省大臣官房会計課長通知国会第二五号により、日本電信電話公社あるいは電力会社等に使用させる場合等であつて、その公益性およびその使用の実態に着目し、国の行政目的の遂行上さしたる弊害のない場合において使用の許可をする場合の他は、一年以内として許可されるものであり、一年以上にわたる継続的使用は認められていないから、被告の事業が継続性を有するとしても、被告は定められた期間経過後は熊大から新たな使用許可を与えられない限り使用しえないところ、熊大は所定の期間満了に際し、昭和四五年度の使用許可をしなかつたものである。

2  仮に、前記1の(一)の意思表示が使用許可の取消に該るとしても、被告には、つぎのような取消事由があつた。

(一) 熊大は被告の設立前被告の設立発起人代表との間に、被告の設立に関する協議を重ね、その結果昭和四二年二月一七日左記事項を相互に確認し(以下、確認事項という。)、次いで、右確認事項に伴う了解事項(以下、了解事項という。)が左記のとおり成立した。

(確認事項)

一  生活協同組合は消費生活協同組合法第二条第二項に基づき経済活動を本務とする。

一  生活協同組合は国有財産法および物品管理法に従う。

一  生活協同組合は大学の秩序を守る。

一  生活協同組合は組織運営について大学と協議する。

一  大学は消費生活協同組合法および熊大生活協同組合の定款を尊重する。

一  双方の何れか一方に疑義が生じた場合は対等の立場で話し合う。

一  生活協同組合は定期的に活動状況を大学に対し報告する。

(了解事項)

一  生活協同組合は光熱水料並びに電話料を大学の定めるところによりこれを負担する。

一  生活協同組合は理事長として本学教授の身分をもつ者を選出するよう努力する。

一  生活協同組合は理事の構成員に各学部教官一名宛を加えるよう努力する。

一  生活協同組合は監事のうち一名を組合員たる経理部職員より選出するよう努力する。

一  生活協同組合は理事が全学的に選出されるよう努力する。

一  生活協同組合は定款の更変、重要な規程の制定および変更について大学に報告する。

一  生活協同組合は次の事項を履行する。

毎半期、毎年度決算書および事業の報告書を大学に提出する。

役員および職員の人事異動についてはそのつど報告する。

職員の健康管理については必要な条件を具備する。

施設の防災、保全方針等については、大学の方針と齟齬しないこと。

(二) 被告は昭和四三年一一月分以降の水光費を熊大が支払を指示した期日までに支払わず(右滞納の水光費は昭和四五年六月末当時一一〇万七八一七円に及んでいた。)、もつて前記使用許可条件、確認事項、了解事項に違反した。

(三) 被告はその理事の構成員に熊大の各学部教官一名宛を加えるべく努力しないのみか、決算書および事業の報告書を熊大に提出せず、もつて、前記確認事項・了解事項に違反した。

(四) 熊大は被告に対し、昭和四五年二月九日付および同年三月一三日付各警告書をもつて、昭和四三年一一月分以降の水光費の支払、理事の構成員に各学部教官一名宛を加える努力および決算書・事業報告書の提出の各履行方を催告し、これに応じないときは、第一目録の被告使用部分の昭和四五年度使用許可を与えない旨の通知をしたが、被告はこれに応じなかつた。

五1 熊大は被告に対し、第一目録の被告使用部分の使用不許可に伴い、昭和四五年三月三一日ころ被告到達の書面をもつて同年四月一日以降第三目録の動産の使用を認めないので、同月一四日限り返還すべき旨の意思表示をした。

2 第三目録の動産は前記のとおり「供用」としてもともと第一目録の①、②あるいは⑥の部分のうちの各厨房において返還の時期を定めることなく無償で使用させたものであつたから、右請求により被告は同日経過後は右動産を使用する権原を有しないこととなつたものである。仮に、右動産を使用させる法律関係に、私法法規すなわち、本件の場合民法上の使用貸借を類推適用すべきだとしても、本件においては、返還の時期の定めのないものであるから、返還を請求した昭和四五年四月一四日の経過後は、被告には右同様右動産を使用するなんらの権原もないこととなる。

六、被告は昭和四八年一一月一四日以降国有行政財産である別紙第二目録の建物のうちの①の部分(以下、第二目録の①の部分という。)および②の部分(以下、第二目録の②の部分という。)を占有している。

七、使用料相当損害金およびこれに対する遅延損害金は次のとおりである。

1 第一目録の被告使用部分

(一) 相当使用料

(1) 一一九万五六五七円(昭和四五年四月一五日から昭和五〇年八月一〇日までの分)

(2) 昭和五〇年八月一一日から第一目録の被告使用部分の明渡済まで一か年二一六万八二五一円の割合による金員

(二) 遅延損害金

使用料相当の損害金は、一日一日発生し、それぞれその翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を生ずるが、その額はつぎのとおりである。

(1) 一四五万〇六六六円(昭和四五年四月一六日から昭和五〇年八月一〇日までの分)

(2) 一一一九万五六五七円に対する昭和五〇年八月一一日から支払済まで年五分の割合による金員

(3) (一)の(2)による金員に対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済まで年二分五厘の割合による金員および右明渡の日の翌日から支払済まで年五分の割合による金員

2 第二目録の①および②の部分

(一) 相当使用料

(1) 一二二万一六〇八円(昭和四八年一一月一四日から昭和五〇年八月一〇日までの分)

(2) 昭和五〇年八月一一月から第二目録の①および②の部分の明渡済まで一か年七〇万三七六一円の割合による金員

(二) 遅延損害金

使用料相当の損害金は、一日一日発生し、それぞれその翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を生ずるが、その額はつぎのとおりである。

(1) 五万三一四〇円(昭和四八年一一月一五日から昭和五〇年八月一〇日までの分)

(2) 一二二万一六〇八円に対する昭和五〇年八月一一日から支払済まで年五分の割合による金員

(3) (一)の(2)による金員に対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済まで年二分五厘の割合による金員および右明渡の日の翌日から支払済まで年五分の割合による金員

3 第三目録の動産

(一) 相当使用料

(1) 一一四万三八三八円(昭和四五年四月一五日から昭和五〇年八月一〇日までの分

(2) 昭和五〇年八月一一日から右動産引渡済まで一か年一四万二三二二円の割合による金員

(二) 遅延損害金

使用料相当の損害金は、一日一日発生し、それぞれその翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を生ずるが、その額はつぎのとおりである。

(1) 一七万七九五九円(昭和四五年四月一六日から昭和五〇年八月一〇日までの分)

(2) 一一四万三八三八円に対する昭和五〇年八月一一日から支払済まで年五分の割合による金員

(3) (一)の(2)による金員に対する昭和五〇年八月一二日から右引渡済まで年二分五厘の割合による金員および右引渡の日の翌日から支払済まで年五分の割合による金員

八、水光費分担金および不当利得金並びにこれらに対する遅延損害金は次のとおりである。

1 前記二の1および2の各(二)のとおり、熊大と被告との間で、被告は前記使用許可のあつた第一目録の被告使用部分において電気および水道を使用しうるが、被告は毎月熊大が指示した期日までに使用した電気、水道料を支払うとする水光費負担契約を締結した。

(一) 水光費分担金

九九万三一一一円(昭和四三年一一月一日から昭和四五年四月一四日までの分)

(二) 遅延損害金

毎月の水光費に対して弁済期である前記である指示日の翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金が生ずるが、その額はつぎのとおりである。

(1) 二七万六七九五円(昭和五〇年三月三一日までの分)

(2) 九九万三一一一円に対する昭和五〇年四月一日から支払済まで年五分の割合による金員

2 被告は昭和四五年四月一五日以降は第一目録の被告使用部分を使用できなくなつたのであるから、同部分において電気および水道を使用する権原がなくなつたにもかかわらず、それを使用している。一方、熊大は九州電力株式会社あるいは熊本市水道事業管理者との間に、大学内における電気あるいは水道の供給契約を一括して締結している関係上、電力会社等に対し、被告が使用した電気、水道の料金を支払つている。よつて、被告は右電気、水道の使用により、法律上の原因のないことを知りながら、使用料相当額の利得をなし、原告は同額の損害を蒙つた。

(一) 不当利得金

五一八万一五〇九円(昭和四五年四月一五日から昭和五〇年三月三一日までの分)

(二) 遅延損害金

毎月の不当利得金に対して、熊大が電力会社等に料金の支払をなし、かつ被告に支払を指示した日の翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を生ずるが、その額はつぎのとおりである。

(1) 五五万九一六九円(昭和五〇年三月三一日までの分)

(2) 五〇九万一三八二円に対する昭和五〇年四月一日から、四万六三六〇円に対する同月二六日から、四万三七六七円に対する同月二九日から各支払済までいずれも年五分の割合による金員

九、よつて、原告は被告に対し、使用関係終了により第一目録の被告使用部分の明渡および第三目録の動産の引渡並びに前記七の1、3の各(一)の使用料相当額の損害金およびこれに対する同各(二)の遅延損害金の支払を、所有権に基づき第二目録の①および②の部分の明渡並びに不法行為に基づく損害賠償として前記七の2の(一)の使用料相当額の損害金およびこれに対する同(二)の遅延損害金の支払を、前記八の1の(一)の水光費分担金およびこれに対する同(二)の遅延損害金の支払を、前記八の2の(一)の不当利得金およびこれに対する同(二)の遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

第二請求原因に対する認否およびこれに関連する被告の主張

一、請求原因一の事実は認める。

二、同二の事実は認める。

三、同三の2の主張は争う。原告主張の動産の使用は民法上の使用貸借に準ずる権利関係に基づくものである。

四1 同四の1の(一)の事実は認める。

同(二)は争う。昭和四五年四月一日以降使用許可を与えない旨の熊大の意思表示は、使用許可の取消に該ると解すべきである。すなわち行政財産を国以外の者に使用収益させる場合の期間につき、国有財産法第一九条、第二一条第一項第三号には、「建物その他の物件を貸し付ける場合は一〇年」の期間をこえることができないが、同条第二項には「更新することができる。」と規定されていること、第一目録の被告使用部分は被告の前身である熊大厚生組合(以下、厚生組合という。)時代から使用を許されており、被告設立後も前記のとおり使用許可が更新されてきたこと、そして右建物は行政財産として、大学における研究教育に必要な諸条件の整備のため、教職員・学生の福利厚生に資することを目的としているが、被告は右福利厚生を図ることを目的として、継続的事業を行ない、教職員・学生の手で組織され、運営されているのであるから、かかる被告に対して右行政財産の使用を継続的に許可することは、その用途、目的に反しないどころか、国の行政目的に資するものであること等からすると、形式的には右使用許可が一年間であるとしても、それは更新を前提としており、実質的には継続的な使用許可と認めるべきであるから、熊大の前記意思表示は、使用許可の取消と解するのが相当である。

2 同2の(一)の事実は認める。

同(二)の事実のうち、被告自身が原告主張の水光費をその主張する期日までに、熊大に対し支払つていないことは認めるが、その余の点は争う。

同(三)の事実は否認する。理事の構成について、被告は努力をしたが、教官が辞退したのであり、決算書および事業の報告書については、消費生活協同組合法に基づき、当該行政庁である熊本県知事に対し、提出済であり、かつ熊大にはその写しをいつでも提出する用意がある旨を昭和四五年三月二四日付文書をもつて申し出ている。

なお、前記確認事項・了解事項は後記のとおりいわゆる紳士協定であつて、その遵守は専ら熊大と被告との間における信頼と徳義に委ねられており、法的に義務づけられてはいないのであるから、仮にそれに違反したとしても本件使用許可を取消す理由にはならない。すなわち、右両事項を遵守すべき義務が被告に課せられたとすることは、その中の特に役員の構成、選出並びにその運営に関する部分については、消費生活協同組合が国民の自発的な生活協同組織であり、自主的に運営されるべきものとする消費生活協同組合法の趣旨に反するおそれがあり、また、熊大に対し会計報告をするとの項にしても、これを法律的義務とし、これに違反した場合の法律効果を是認することは、これまた消費生活協同組合の自主的運営に干渉する結果になるので、前記法の趣旨に反するおそれがあること、右確認事項にはこれを「遵守する」という表現は存せず、たんに相互に「尊重する」とされているのであり、了解事項においても「努力する」という表現が多数みられること、右両事項に定められた各条項は、熊大が被告に対し法律的拘束を課すためのものではなく、学内行政の一手段として、つまり評議会に他の大学(特に、国立九州大学)と同じ措置ないし配慮をしていることの弁明のための手段として、締結されたにすぎないこと、被告との間に右両事項を結んだ相手方は、熊大ではなく、学生部長および事務局長にすぎないうえ、学生部長および事務局長は熊大を代表するという、いわゆる代表資格がそこに明示されていないこと、原告は第三目録の動産を被告に使用させる法律関係を「事実上の供用」と主張するなど、その法律関係があいまいであるだけでなく、国有行政財産の使用は本来有償である筈であるのに、前記のとおり第一目録の被告使用部分の使用は無償とされている等、熊大と被告との関係は法律上の債権債務の関係ではないとみるのが自然であること等からすると、前記確認事項および了解事項はそれを法律上の義務として遵守しなければならないという類のものとは解されないのである。

同(四)の事実のうち、原告主張のような警告書による通知があつたことは認めるが、その余は否認する。

五1 同五の1の事実は認める。

2 同2の主張は争う。

六、同六の事実は認める。

七、同七の事実のうち原告主張の数額および計算関係は、認めるが、その余は争う。

八1 同八の1の冒頭の事実は認める。

同(一)、(二)の数額および計算関係が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

2 同2の冒頭の事実のうち、被告が昭和四五年四月一五日以降も第一目録の被告使用部分において電気および水道を使用していることは認め、その使用料を熊大が電力会社等に支払つていることおよび熊大と電力会社等との契約内容は知らず、その余は争う。

同(一)、(二)の数額および計算関係が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

第三抗弁およびこれに関連する被告の主張

一、原告(熊大)は、第一目録の被告使用部分の使用許可を取消し、その明渡を請求するとともに、第三目録の動産の引渡を請求するが、それは次のような事情から権利の濫用として許されない。

1(一) 被告の前身は厚生組合であるが、同組合は昭和二五年一一月一日設立され、以後教職員・学生の生活の安定をはかるため終始努力して来た。昭和四〇年には市バス値上げ反対運動、学生会館の建設および教職員・学生の厚生福祉につき、熊大に申し入れを行うなどし、その結果、同年一二月、当時の熊大学長柳本武との間に、いわゆる学長確認事項として「大学は基本的に、学生の生活を守る立場に立ち出来る限りの事をする。水道料は当面大学が半額負担とするが、全廃という要求については、今後尚検討する。」という旨の確認が行われた。その後、右厚生組合は懸案とされていた法人格取得のため、昭和四一年から法人化運動に取り組み、右学長の法人化を急ぐべき旨の指示があつたのであるが、事態は遅々として進まなかつたところ、昭和四二年に前記確認事項および了解事項の交換をみるに至り、ついに、同年六月三〇日被告組合が設立された。

(二)(1) そもそも、消費生活協同組合(以下、生協という。)は、消費生活協同組合法に基づき、「営利を目的とするものではなく、国民の自発的な生活協同組織」として設立され、その数は全国に約一三〇〇余あり、いわゆる大学生協は約一三〇、そのうち国立大学は八〇を数えるに至つており、被告もまたその一である。

被告は熊大の教職員・学生を組合員としているが、昭和四七年末の加入者は約六〇〇〇名であり、昭和四二年度以降の新入生の加入率は昭和四二年度97.3パーセント、昭和四三年度95.9パーセント、昭和四四年度94.8パーセント、昭和四五年度85.2パーセント、昭和四六年度84.0パーセント、昭和四七年度91.3パーセントであつた。

(2) また、被告は学問研究の自由な発達の礎というべき、教職員・学生の生活の安定を図ることを目的とし、その事業は食堂、購買および書籍の三部門に分かれ、食堂五か所、購買四か所および書籍二か所の計一一か所の事業所を有し、ここ数年の利用状況についていえば、たとえば、食堂五か所のうちの一つであるいわゆる学生会館食堂における年度別六月次食数をみると昭和四二年度七六九二三、昭和四三年度六四八二三、昭和四四年五〇三四三、昭和四五年度五五九〇八、昭和四六年度五四二五九、昭和四七年度五九六五四であつた。

以上の数字から明らかなように、被告は熊大における教職員および学生にとつて必要不可欠のものであり、とくに食堂においては教職員・学生の昼食を供給し、また、県外者が入学者の半数をこえるので、被告食堂で朝、昼、夕の三食をとる学生の数はきわめて多い。

(三)(1) 憲法の「学問の自由」、「教育の機会均等」は、育英資金の奨励とともに、大学に教え働き学ぶ者の福祉増進をはかることを抜きにしては守ることのできないものであるが、大学の福利厚生費は、一般に文教予算の五パーセント弱といわれてまことに貧弱である。そのなかにあつて、一般に大学生協は教職員・学生の福利厚生に資することにより大学における研究教育に必要な諸条件の整備のために重要な役割を果たして来た。被告も、その設立趣意書に、「大学に教え、働き、学ぶ者は、公共料金の値上げを中心にして諸物価の値上りの中でアルバイトを強要されている現実を直視し、教え、働き、学ぶ者の生活を守る活動を全国的にしていきたい。」と謳い、厚生組合時代から数えて、その二二年の歴史は、「教職員・学生の生活の安定と福祉の増進をはかる」ために活動して来たものである。

(2) すなわち、国は、国立大学を設置した目的(大学における研究教育)達成に必要ないし合致するものとして、教職員および学生の福利厚生施設として、本件使用許可になつた国有財産を建設し、それを保有・運営・管理しているものであるが、その福利厚生を実効あらしめるため、被告に対し、右施設および必要な物品の現実の使用・運営・管理を依託してきたのである。これは、本来、国(熊大)の責務である「教職員および学生の生活の安定と福祉の増進」につき、被告がこれを代替し現実に行なつてきたことになる。それ故にこそ、昭和二四年文部省大学学術局長の通達「学校消費生活協同組合の育成について」があり、また、昭和三三年一月七日付大蔵省管財局長通知蔵管第一号(以下、蔵管第一号という。)があるにもかかわらず、昭和三六年、大学生協に対する建物使用料の徴収撤廃が事実上確認され、熊大においても、昭和四四年一月二九日付公示において、「大学は生協の教職員・学生のための福利厚生活動を高く評価し、今後益々発展することを熱望する。」

と認めたのである。

2(一) 昭和四〇年来の公共料金値上げに端的に見られる物価高騰、特に消費者米価の四年連続の値上げは公知の事実であり、これにより熊大の教職員・学生の生活は全般的に苦しくなり、特に昭和四三年一〇月の消費者米価の値上げは必然的に被告の経営する食堂の定食価格の値上げを余儀なくし、また、右値上げはさらに付近の食堂および下宿代の値上げを招来し、さなきだに貧しい学生生活をさらに圧迫することになる。毎日三〇〇〇人の教職員・学生が被告の食堂を利用している現実をふまえ、熊大の教職員・学生の福利厚生を自主的・民主的に担う被告にとつて、右定食価格の値上げを阻止することは当時最大の使命であつた。そのため、被告は内部の合理化(経費節減)および組合員の利用結集(収益の増大による一食当りの経費節減)をはかると共に、それを前提として昭和四三年一〇月ころ熊大に対し、具体的には理工地区厚生センターの開設水光費の国庫負担什器備品の国庫負担(理工地区厚生センター開設に伴う什器備品を含めて。)を要請してきた。このように、水光費国庫負担等の要求は被告として出来るだけの内部努力を前提とし、なおそれだけでは諸物価値上りの定食価格への影響をくいとめることはできないと判断したが故に行なつたものである。

要するに、水光費問題は前記定食価格を左右するものなのである。たとえば、昭和四四年において一食当り七円四二銭の材料費の値上りが見込まれ、単純計算で年間七四二万円被告の経営に影響を与え、仕入の合理化等をしても、年間四五〇万円ないし五〇〇万円の負担増となるが、水光費国庫負担となれば減少するし、また、消費者米価の値上りに限定してみれば、右値上り分は年間約一二〇万円となるが、水光費国庫負担となれば、その影響を半減することができるのである。

(二) しかも、被告の熊大に対する右水光費国庫負担等の申し入れは次の点からも相当なものである。すなわち、

(1) 右申し入れは前記昭和四〇年一二月の柳本学長との確認事項の履行を求め、その当時懸案とされていた問題の解決を迫つたにすぎない。また、国立大学がその目的である大学における研究教育に必要な諸条件の整備のため、そこに教え、働き、学ぶ者すなわち、大学の構成員である教職員および学生の福利厚生を図るべきことは、法令上明確な規定があるなしにかかわらず、その目的からして当然のことであり、かつその責務である(しかして、その責務に応えるものとして、従前いわゆる学生会館の建設もあつたし、本件国有財産の無償使用許可、物品の無償貸与があつたのである。)が、水光費国庫負担等の要求も右責務に係ることであるうえ、前記のとおり被告は教職員・学生の福利厚生をはかるべき熊大の責務を代替し、現実に行なつているのである。さらに、水光費国庫負担は当時行なわれていなかつた訳ではなく、国立宮崎大学において現に実施されていたのである。

(2) なお、蔵管第一号は、「相手方の使用した電気料、水道料等は必ず徴収しなければならない。」と規定するが、一方、「この基準によることが著しく不適当又は困難と認められる特別の事情があるときは、大蔵省管財局長と協議して、特別の定めをすることができる。」と規定して、協議する途を残しているから、必ずしも水光費を熊大が負担することの障害にはならない。仮に、しからずとするも、大学生協は、消費生活協同組合法により共済事業をその内容の一とするばかりでなく、大学の教職員・学生に対する福利厚生面の貧困さから、右福利厚生に大いに貢献しているという性格に鑑み、国有財産法第一九条、第二二条、第二三条により建物は有償貸付が原則であるにもかかわらず、大学生協に貸付けられた建物については、現在においても無償とされている。かくのごとき取り扱いは国有財産法という法律の明文と相容れないものであるが、それさえ許されるとするならば、水光費を被告が負担すべきではないという被告の主張は、大蔵省管財局長の通知にすぎない蔵管第一号の改正を求めたに止まり、決して無謀ということはできない。

(三) ところで、熊大は、昭和四三年一一月二九日被告の前記要求運動を「七〇年安保改定を機会に、熊大を学生運動の拠点にするという動きも兆し」(評議会ビラ)であると政治的偏見と予断をもつて評したのであるが、この姿勢こそがそれ以降において問題の解決を一層困難にするに至つた。かくて、「生協の窓口」として熊大評議会に設置された第三部会特別委員会(以下、三特委という。)は、同年七月二五日の交渉において、「議題があるなしにかかわらず第三水曜日を定例化する。」旨を確認していたにもかかわらず、右の偏見に影響されて実際には三か月の間これに応じることがなかつた。そこで、被告は熊大に対し、再三交渉を申し入れ、ついに、水光費国庫負担等の要求に関する公開質問状の提出に至るのであるが、右は前記定食価格の値上げ阻止のため、水光費につき業者にしているのと同じような援助を行なつて欲しい、かつ現に国立宮崎大学では国庫負担が実施されているところから、受益者負担に固執するばかりでなく、できないとすれば、できない根拠および理由を明示して欲しい旨要請したが、これに対する回答において、熊大は具体的解決策を示さないのみか納得のいく理由も明らかにしなかつた。以上の経過に徴し、やむなく、いわゆる公開学長交渉(これはいわゆる大衆団交とは異る。)の方法を採らざるを得なかつたものである。その後、被告は、同年一一月一日から昭和四四年三月三一日までの水光費については、同年四月一日以降の水光費負担の問題が公開学長交渉において妥結するまで、その支払を保留することにした。

3(一) 昭和四三年一二月二〇日の第一回公開学長交渉(以下、第一回交渉という。)において、熊大は水光費問題については、「国大協あるいは文部省に働きかけ、水光費国庫負担の努力をする。具体的な経費節減等の方策として、将来井戸を掘り、漸次安くする。」と回答した。

(二) 昭和四四年一月二四日の第二回公開学長交渉(以下、第二回交渉という。)において、学長臨時代理忽那将愛は、水光費につき「全廃の方向で再検討し、次回に回答する。」ことを約した。

(三)(1) 右確認に基づき、同月二八日の第三回公開学長交渉(以下、第三回交渉という。)の冒頭、忽那学長臨時代理はつぎのような案を提示して回答した。

「一 水光費については

1 電気料金のうち、基本料金(年額約一四万円)は大学において負担する。

2 従量電力料(年額約三五万円)および水道料(年額約二五万円)は生協が負担する。

3 ただし、右の従量電力料および水道料の合計額(年額約六〇万円)を什器の更新費等のかたちで大学が負担する。

4 さらに、湯茶給与の費用として年額約二〇万円を大学が負担する。

二 什器備品については

1 理工地区厚生センターの初年度設備として什器購入費を大学が負担する。

2 なお、このセンターの暫定開設のための建物築造費として、今年度内大学が支出する金額は約三〇〇万円である。また、昭和四四年度予算による厨房設備は当然大学負担であり、その詳細は両者の協議に残されている。」

右回答は被告が熊大に対しかねてから提案していた事項に同調したものであり、これに対し、被告は熊大との間で一項目ごとにその履行の確認を求め、熊大がこれを確認し、右案につき双方の合意が成立した(その後、熊大は電気の基本料金を負担し、右合意の一部を履行した。)。しかも、被告としては、第三回交渉に先立ち、大学の行事、すなわち、卒業および入学試験の期日並びに被告の予算編成上の時間的制約もあるので、この際はつきりと具体的な点で妥協ができればよく、形式的な問題は、来年度以降において熊大側が前向きの姿勢で蔵管第一号の撤廃の問題に取り組むと言明しているので、それに期待するとともに、被告理事長森田誠一ほか教官理事が忽那学長臨時代理より予め知らされていた前記熊大側回答の線で、妥結する方針を理事会として決定していたものである。

前記のとおり合意が成立した後、議題は大学と生協のあり方に移り、熊大は被告を如何に評価するか、被告の提起する問題につき、従来の窓口である三特委の機能麻痺に鑑み、学長自身が責任を負うのではないか、水光費国庫負担に今後努力すると云うが、そもそも如何なる姿勢で努力するのか等の点につき論議がなされた。水光費に関する熊大のとらえ方に関し、再び蔵管第一号が問題とされたが、右は昭和四四年度の水光費に関しては、前記合意の線で処理することを前提とし、それ以後熊大は右問題につき、如何なる姿勢で取り組むのかが問題となり進んだものである。

(2) 被告は同日午後八時五〇分直前、忽那学長臨時代理の健康状態および翌月から学期末試験を控えていることから、今後の交渉継続が不可能と判断し、これ迄確認合意された事項につき、確認書作成のために休憩を申し入れた。右休憩中に、被告理事会および参加者(傍聴学生)の会議をそれぞれ開催し、諸般の状況から今回の交渉は、これをもつて終了せざるを得ないこと、終了するについては、これまで合意に達した事項および未解決の事項を整理し文書をもつて確認すること、未解決の事項については、本日の交渉ですでに合意がなされている新しい交渉機関との間で交渉を継続することを決定し、確認書二通を作成した。

その間、熊大より右学長臨時代理の診断の結果、すなわち今後の交渉に出席することはできないが、確認書を読んで署名する程度のことは差し支えないことが通知されたため、被告理事長森田は右確認書を携えて、同学長臨時代理が休憩している学生会館一階にある休息室に出向いたが、関係者より、二階にある大学側控室に行くよう求められた。そこで同所に行つたところ「公開交渉の壇上で」と言うのでそれを了承し、被告理事らは所定の場所に位置をしめたところ、熊大側より、忽那学長臨時代理の診断発表を行ないたい旨の申し入れがあり、医師団から同人に対する診察の結果と同人がこれ以上交渉に出席できない旨の発表があつた。それと同時に、評議員林秀男が立ち、「このような交渉は生命の危険を感じる。」旨の誇張した発言をなし、続いて、学生部委員松山公一も同じ趣旨の発言をしたので、これに対し被告理事貞内美千夫が発言しているとき、松山学生部委員が「われわれは退席します。」と宣言して、熊大側交渉委員は退席したものである。

前記のとおり、確認書を交換しさえすれば事態は明らかに解決されることになつていた段階で、右のごとく退席をしたことは、公開交渉により事を決めるという方式を拒否し、ただに解決を遷延しようとした「一方的退席」というべきであり、これは会場にいた教職員・学生の強く批判するところとなつた。そして同年一月三〇日付公示もその目的は右「一方的退席」の結果の混乱を糊塗し、その責任を熊大から被告に転嫁するための学生対策であつたと解すべきである。

(四) かくして、同月三一日熊大教養部において、続いて同年二月一一日同法文学部において、それぞれストライキに立ち至り、ここにおいて熊大対被告の水光費問題にすぎなかつた事態は、熊大対学生間における大学の姿勢の関係へと転化し、いわゆる大学紛争へと拡大されていつた。

右の如き理由からストライキに入つた学生等の目的は、大学の正しい在り方であり、具体的には「一方的退席」の謝罪と話し合いによる熊大の運営、その中に対被告問題を含めて自治規制の撤廃を求めるものであつた。被告としても、実質的に熊大が水光費を負担することが、前記のとおり確認され約束されているが、そもそも教職員・学生の生活に密着する事項は、公開交渉によつて決すべきであると考えたほか、第一に、右負担の考え方および取り扱いの姿勢に一貫した論理がなければ、いつでも熊大の都合によつて反古にされる危険性を前記一方的退席事件により感じたこと、第二に、大学という真理探究の場にあつて、その論理が重視さるべきこと、第三に、熊大が真剣に教職員・学生の厚生福祉を考える姿勢こそが、前記具体的方策の確認と共に、今後の熊大と被告との真のあり方を決定づけるものと考えたことから、その趣旨で再三熊大に対し公開交渉の再開を申し入れたのである。

(五) 昭和四四年二月二七日、第四回公開学長交渉(以下、第四回交渉という。)が行なわれたが、その席上学長事務取扱荒木雄喜は、第三回交渉における熊大側交渉委員の退席を「一方的退席」と認め、その非を謝罪し、これにより、第三回交渉における前記確認ないし合意が再確認された。

(六) かくて、同年三月一日の第五回公開学長交渉(以下、第五回交渉という。)において、評議員金子正信は学長事務取扱代行の肩書をもつて、「受益者負担原則は正しくない。蔵管第一号は被告に適用すべきでない。水光熱費の全国庫負担できない理由は、大学の予算の能力の限界があることのみである。」等を内容とする同月二日付確認書に署名捺印した。右署名捺印をするに際し、金子評議員は確認できることとできないことを区別して確認できることのみを確認したものであり、しかも、右確認事項は決して右期日に熊大側の意向として表明されたものではなく、第一回ないし第三回交渉において、熊大側が水光費の国庫負担ができない理由を具体的に論破されてゆく中で、熊大側がすでに認めざるを得なくなつたものであつて、前記確認書は、第三回交渉までに確認された、熊大の基本的姿勢を再確認したものである。しかして、金子評議員が熊大の署名時における代表者ないし責任者として、その署名をした以上、同人が肩書どおり学長事務取扱代行であるなしにかかわらず、熊大は右確認書に拘束され、そこで表明した水光費問題に関する姿勢はそのとおり、遵守すべき責務がある。

(七) 第五回交渉以後は、被告が熊大に対し、前記確認ないし合意された理工地区厚生センターの開設、水光費の熊大負担等について、再三再四その履行を求めたが、熊大は履行もせず、一方的に許可条件違反ときめつけたところに今日の事態がある。

4(一)(1) 前記のとおり、第三回交渉において前記熊大の提案につき合意が成立したが、仮にそれが認められないとしても、被告の側では右合意と同内容のことをつとに確認していたところであつて、熊大も昭和四四年一月三〇日付公示等数次に亘る公示および同年五月六日付「熊大学生諸君へ(Ⅱ)」、同月二四日付「熊大学生のご家庭へ」における「約束」によつて右合意内容と同趣旨のことを被告に申し入れた。これはいわゆる「交叉申込」であり、右の点に関し契約が成立したこととなる。仮に、前記主張がいずれも認められないとしても、次のことを予備的に主張する。すなわち、被告の負担すべき水光費を熊大が実質的に代替するという事は、全学的な公開交渉という形態がとられたことに徴しても、形式的には被告を相手方とする契約のごとくみえなくもないが、実は、教職員・学生の福利厚生に関する大学行政の問題に係るところであつて、その限りにおいて契約に親しまない熊大の単独行為(一種の行政行為)というべきである。しかるとき、熊大が全学に対し、第三回交渉において前記回答という形で行なつた意思表示、さらには、昭和四四年一月三〇日付公示等の公示や前記「約束」による意思表示は、被告の態度いかんにかかわらず熊大はこれを履行すべき義務を免れることができない。

(2) かくして、昭和四四年四月一日以降、形式的には、被告が水光費(電気の基本料は除く。)を負担し、態大が右水光費に見合う被告の什器備品費を負担することになつたが、これは実質的には熊大が右水光費を負担するということであるから、被告の熊大に対する水光費の支払債務と熊大の被告に対する債務とは、一個の法律要件から生じかつ関連的に履行すべきものとして、同時履行の関係にある。しかるに、熊大はその義務を履行しないのであるから、被告には昭和四四年四月分以降の水光費につき債務を履行しないという使用許可条件違反はない。

仮に、第三回交渉における熊大の提案の趣旨が原告主張のとおりであるとしても、熊大が什器等を購入して被告に使用させるということは、被告が負担すべき水光費を免除する(熊大が負担する)目的をもつものであることに変りなく、被告の水光費の支払債務と熊大の右債務とは同時履行の関係にある。

(二) なお、被告は昭和四三年一一月分から昭和四四年三月分までの水光費につき、昭和四四年四月分以降の水光費に関する熊大との交渉が妥結するまで支払を保留するということでその支払をしていないが、熊大は前記のとおり第三回交渉における前記提案と同内容のことを履行すべき義務が生じた。そこで、被告は熊大が右義務を覆行すれば、被告も前記水光費を支払う旨申し入れたが、熊大は右義務を履行しないので、現在も支払を保留しているのであつて、被告に右水光費支払義務の遅滞があるとはいえない。

(三) 被告が支払うべきものと原告が主張する水光費のうち、昭和四三年一一月分から昭和四五年五月分までについては、熊大学生部長が私金をもつて熊大に対し支払つており、これは第三者弁済であるから、被告の右水光費支払債務は消滅しているというべきである。してみると、被告は熊大に対し、右水光費を支払う義務を負ういわれはなく、被告には債務不履行はないから、使用許可条件違反はない。

5 第三目録の動産は、いずれも前記使用許可があつた第一目録の①、②あるいは⑥の部分の各厨房において使用される調理用備品であるが、熊大のその保有目的は右厨房と一体をなして、教職員および学生の福利厚生に資するという行政目的を達成するというものであり、熊大が被告に対しそれを無償使用させたのも右行政目的を有効に達成するためであつた。そして被告は厚生組合時代から右動産を継続的に使用して右行政目的を代替達成してきたのである。

6 本件においては、前記のとおり昭和四四年一月二八日の第三回交渉における「一方的退席」がその後の紛糾を惹き起し、熊大は不信と猜疑の府と化したのであつて、その責任は大であり、本件でまず問われるべきはこのような熊大の姿勢である。しかるに、かかる姿勢を真摯に糺そうとした被告に対し、熊大は学内の混乱の責任をあげて被告に帰し、むしろこの期に被告の熊大からの追い出しを画したというべきである。

7 以上の事実に照らせば、第一目録の被告使用部分の使用許可取消による同部分の明渡およびこれに伴う第三目録の動産の引渡の各請求は、社会通念上著しく不合理かつ恣意的なものであるから、権利の濫用として許されない。

二、被告の第二目録の①および②の部分の占有を正当ならしめる事由は、次のとおりである。

1 第二目録の建物(東光会館、通称学生会館)のうちの①の部分につき、被告は原告の警告にもかかわらず原告主張のとおりシヤッターを設置して占有しているが、それは右部分を使用して事業をしている被告が商品管理上盗難を防ぐためやむを得ずなしたものである。すなわち、第二目録の①の部分は、従来、展示即売会(昭和四六年、昭和四七年度各八回等)およびそれに伴う商品置場として、被告が使用していたところである。ところで、熊大は昭和四五年度以降、被告が学生会館を不法に占拠していると称し、被告および右学生会館を利用している多数の学生のためび重なる同会館の整備の要求にもかかわらず、放置し荒れるにまかせていた。その結果、同会館は窓ガラスを破損し、照明は切れ、トイレは故障し、利用に耐え得ない状況になつていた。そこで、被告の商品の盗難を防ぐため、前記のとおり①の部分にシャッターを設置したのである。しかも、右シャッターは昼間は開けているので、従前通りロビーとしての効用には変りないものである。

2 第二目録の②の部分について、被告は原告の警告にもかかわらず、原告主張のとおりの設備工事をして占有するに至つたが、それは談話室としての効用を復旧したものである。すなわち、右談話室は配善室(コーヒー等飲物の準備をなす場所)と隣接し、元来、食堂ホールと同じく熊大において椅子、テーブルを設置し、教職員および学生の談話室としての効用を果たしていたものであるが、右椅子、テーブルが破損、紛失し、事実上機能できなくなつた。そのため、熊大に談話室の整備を何回となく要求していたものであるが、回答がなく、本来、熊大の責務である教職員・学生に対する福利厚生施設の維持、整備を同大学が放棄していた。そこで、被告の主たる事業所が右学生会館にあることもあり、被告の資金あるいは同会館を利用している教職員・学生の寄付金を投じて、右談話室を復旧し、同会館の機能を維持、整備しようとしたものである。

三、水光費分担金および不当利得金請求について

1(一) 昭和四三年一一月一日から昭和四四年三月三一日までの水光費については、前記第三の一の4の(二)のとおり、被告には右支払義務の遅滞はない。

(二) 昭和四四年四月一日以降の水降費については、前記第三の一の4の(一)のとおり、同時履行の抗弁権を有する。

2 昭和四三年一一月一日から昭和四五年五月三一日までの水光費については、前記第三の一の4の(三)のとおり、第三者弁済があつた。

第四抗弁に対する認否およびこれに関連する原告の主張

一、抗弁一の冒頭の事実は争う。

1 同1の(一)の事実のうち、原告主張の日に確認事項および了解事項が成立し、被告が設立したことは認めるが、学長確認事項の確認、法人化を急ぐべき旨の指示があつたことは否認し、その余は知らない。

同(二)の事実のうち、被告が大学生協の一つであること、その準拠法令および被告の構成員・目的は認め、全国の生協・大学生協および国立大学生協の数は否認し、その余は知らない。国立大学は七六校あるが、そのうち生協のないものが相当数ある。

同(三)の事実のうち、(1)は知らない。(2)は否認する。熊大は教職員および学生の福利厚生施設等の設置については、教育の目的を達成するため必要に応じ可能な限り配慮しているが、被告が行なつている事業は、本来原告(熊大)において実施すべき義務はなく、したがつて、熊大が生協である被告に対し、福利厚生事業を代替させたというような関係はない。また、被告主張の文部省大学学術局長の通知は、原告(熊大)に対し前述のような義務を負わせるものではないばかりでなく、被告が原告(熊大)の責務を代替してきたことを物語るものでもない。

2 同2の(一)の事実のうち、被告が熊大に対し、水光費国庫負担等の要請をしたことは認め、水光費問題が定食価格を左右するとの点は争い、その余は知らない。学生会館食堂における、昭和四三年と昭和四四年の六月分の水光費を被告主張の当時の食数で除すると、水光費は一食当り五二銭ないし五八銭に過ぎず、定食価格を左右するなどということはない。

同(二)のうち、冒頭の主張は争う。被告の食堂の定食価格の値上げを防ぐために熊大に対し、国費の不当支出を強要するなどということは許されないし、右価格維持の責任か熊大に要求される筋合のものでもない。

同(1)の事実のうち、原告主張当時、国立宮崎大学生協が水光費の支払をしなかつたことは認める(同生協については、昭和四五年四月から水光費を支払うことに改められた。)が、その余は否認する。第一目録の被告使用部分を無償で使用させたのは、被告が消費生活協同組合法に基づき教職員および学生の生活の安定と福祉の増進をはかることを主たる目的とする団体であると判断したためである。無償とするについて、積極的な法的根拠は存しないが、熊大が積極的な予算の支出を伴わない範囲内において暫定的にした便宜上の措置である。第三目録の動産の使用が無償であるのは、その使用関係が物品管理法上の供用であるから、当然のことであつて特別の意味はない。

同(2)の主張は争う。蔵管第一号は、国有財産法第七条に基づく大蔵大臣の総轄権の行使として発せられた通知であり、財政法第九条および国有財産法第一八条第三項に基づき使用許可を行なう場合の範囲、使用料の算定等の基準を定め、もつて各省庁の長が行なう使用許可処分の事務の統一を図ることを内容とするものである。これをうけて文部省においては、文部省大臣官房会計参事官が大蔵大臣の総轄権の行使として発せられた蔵管第一号通知に基づき、同通知に定める基準を内容として取り入れた通知を昭和三三年二月一四日付文部省大臣官房会計参事官通知国会第六号として、国立学校長等に発している。よつて、右会計参事官通知が国家行政組織法第一四条第二項に定める命令示達に該当することは疑いのないところであるから、各国立学校長は右会計参事官通知の内容とする蔵管第一号通知に従つて使用許可処分を行わなければならないことは当然である。したがつて、各国立学校長が蔵管第一号が定める基準内で自由に裁量権を行使するならばともかく、同基準に違反して権限を行使することはできない。そして、蔵管第一号の第一三項自体は明らかに熊大の自由裁量を否定したものである。このことはその文理自体からも当然のことであり、この基準によらず特別の定めをすることは大蔵省管財局長と協議の上その意思によつてはじめて許されるものであり、かつ右協議は同局長と文部大臣官房会計参事官との間の協議であつて、熊大との間の協議ではない。したがつて、同項の「特別の定め」は態大の独自の裁量によつては全くなし得ないものである。特に、水光費等の徴収については第一〇項が「相手方の使用した電気料・水道料・電話料・ガス料等については必ず徴収しなければならない。」と規定しており、その文言からも被告の主張する大蔵省管財局長との協議の対象とはならないものである。したがつて蔵管第一号は水光費を熊大が負担することの障害となるものである。

同(三)の事実のうち、昭和四三年一一月一日から昭和四四年三月三一日までの水光費につき、被告主張の時期まで支払を保留したとの点は知らず、その余は否認する。三特委は昭和四三年七月二五日の交渉において「定期的に交渉をもつ必要を認め、大学側としては、毎月第三水曜日午後三時からということにしたい。」旨を申し出たところ、被告は後刻回答することを約したものであるが、被告から回答があつたのは実に同年九月一九日であつたもので、約二ケ月間、被告自ら回答を怠つたものである。また、その後においても被告は学長交渉の実現という主張に重点をおき、三特委の実質的運営を拒否したものであつて、熊大側が故意に交渉に応じなかつたものではない。

3 同3の(二)の事実は認める。

同(三)の(1)の事実のうち第三回交渉において忽那学長臨時代理が、被告主張どおりの回答をしたことは認め、被告理事会が同交渉に先立ち、被告主張の理由により、その主張のような方針を決定していたとの点は知らず、その余は否認する。なお、電気の基本料金を負担したのは、すでに熊大においてそれを一方的に決定していたから自発的に行なつたのであつて、合意に基づくのではない。

同(2)の事実のうち、医師団から被告主張の発表があつたこと、林評議員が被告主張の発言をし、松山学生部委員が「退席する」旨宣言して、熊大側交渉委員が退席したことは認めるが、同日午後八時五〇分直前被告がその主張の理由により交渉継続が不可能と判断したこと、休憩中、被告が、会議を開催し、その主張の決定をし、確認書二通を作成したとの点は知らない、その余は否認する。同日午後九時ころ、休憩に入つたのは、忽那学長臨時代理の健康状態が悪化したことから医師の診断を受けるためであつて、確認書作成のためではなかつた。右診断の結果、忽那学長臨時代理は健康状態が悪く出席不能となつたので、当日の交渉を中断さぜるを得なくなつた。休憩後、熊大側委員が字生会館大ホールの交渉の席に着席したのも、交渉を中断せざるを得なくなつた事情を被告のみでなく大ホールに参集している聴衆にも告知するためであり、決して確認書の作成などのためではなかつたものである。また、松山委員はただ単に「われわれは退席する。」と宣言して退席したものではなく、交渉を中断せざるを得なくなつた事情を説明し、さらに、今後の交渉のあり方についての熊大側の見解を表明したのち退席したのであり、林評議員の発言も正に当時の過激な交渉の真相を物語るものにほかならず、当夜の退席は真にやむを得なかつたものである。なお、被告は同交渉において、あくまでも熊大の責任において水光費を国庫負担せよとの強要を続け、被告の要求を実質的に満たしたものといえる熊大の提案にもかかわらず、最後までこれを納得しようとはしなかつたものであり、双方で確認書を交換する等という状況ではなかつた。

同(四)の事実のうち、ストライキが発生したことは認めるが、その原因が熊大にあるとの点は否認し、その余は知らない。

同(五)の事実のうち、荒木学長事務取扱が被告主張のように「一方的退席」として謝罪をしたことは認めるが、その余は否認する。第四回交渉の模様は次のとおりである。すなわち、熊大は第三回交渉以後学内の秩序を回復するためでき得る限り譲歩による妥結は望むところであるので、穏やかな話し合いにはすすんで応じる旨の申し入れをした。しかし、被告は教養部ストライキ実行委員会、法文学部ストライキ実行委員会および工学部連絡会議特別委員会と共に(以下、四団体という。)、あくまでも水光費全額国庫負担を要求し、学長との公開交渉を要求するので、熊大としてもやむなく評議員を加え前記四団体との間において交渉を行なつた(評議員を加えることは被告の要求によつたものである。)。すなわち、昭和四四年二月二七日評議員一九名を加えて第四回交渉を開始したが、被告らを含む集団による罵声、怒号、抑圧、監禁状態に置かれての交渉となつた。それにより、同日午後八時頃荒木学長事務収扱は、疲労困憊による血圧亢進の結果、医師の診断により出席不能となり、続いて評議員六名も次々に緊急加療を要する状態となり病院に入院治療のやむなきに至り、評議員野口彰ほか数名のみが残つたが、遂に午後一一時交渉中断のやむなきに至つたものである。

同(六)の事実のうち、金子評議員が被告主張のような確認書に署名捺印したことは認めるが、その余は否認し、右確認書が有効であるとの主張は争う。第五回交渉の模様はつぎのとおりである。第四回交渉に続き、同年三月一日午後一時から熊大側は評議員一四名ほか一名が出席して開始されたが、前回交渉同様の異常な状況下での交渉のため、途中で学長事務取扱代理野口彰のほか、四名の評議員も次々に倒れ、医師の診断により出席不能となつた。その後、金子評議員ほか数名により続行されたが、金子評議員を除く出席評議員も前同様緊急加療を要する状態で出席不能となり、遂に出席者は金子評議員と松山公一教授だけとなり、翌日午前五時まで続行された。しかし、長時間におよぶ学生の罵声、怒号、抑圧、発言拒否、診療妨害、休憩拒否等の中で四団体代表による理不尽な追求により、熊大側の右両名は心身共に疲労その極に達し、かつ両名代表権もないため交渉の打ち切りを要求したが、拒否され、前記確認書に署名捺印することを迫られた。これに対し、金子評議員は熊大を代表する権限のないことを告げて署名捺印することを終始拒否したが、被告代表および前記三団体の代表はあくまでも署名捺印することを強要したので、やむを得ず異常事態を一応終了せしめる目的で金子評議員が大学を代表する権限がない事実を明確にし、被告らのいう趣旨を評議会に伝達する趣旨で行なうことを告げたうえ被告主張の確認書に署名捺印したものである。以上の経緯によれば、右確認書が熊大に対してなんらの効力もないものであることは明らかである。

同(七)の事実は否認する。

4 同4の(一)の事実のうち、熊大が昭和四四年一月三〇日付公示をしたことは認めるが、その余は争う。右公示は公開交渉において熊大が被告に対し提示した具体案を一般学生職員に対し明らかにし、理解と協力を求める目的をもつてなされたものであつて、公示自体が原告の被告に対する意思表示でないことはいうまでもない。また、第三回交渉における熊大の提案の一部である「従量電力料(年額約三五万円)および水道料(年額約二五円)は生協が負担する。」「ただし、右従量電力料および水道料の合計額(年額約六〇万円)を什器の更新費等のかたちで大学が負担する。」というのは、当時現に被告が水光費を支払つていない事実に鑑み、これを含め水光費を将来も支払うことを条件とし、被告が什器等の使用に伴い、破損等により欠損を生じた場合は、被告自らの費用をもつてその補充、修理等をなす義務を有しているところ、熊大が什器備品費として正当に支出することのできる費用から所定の金額に満つるまで什器等を購入し、被告に対し供用物品として使用させることによつて、間接に被告の経済的負担を軽減させるという趣旨であつて、両者が同時履行の関係に立つものではなく、ましてや電気・水道料を免除するという趣旨ではない。したがつて、右提案によつて直ちに被告が水光費の支払を拒否する理由にはならない。そして、被告に供用する什器はあくまでも国の物品として供用するもので、購入のうえ被告に対して譲渡等するということあるいは被告が什器等を購入するためにその資金を国が負担するという趣旨のものではなく、物品管理法上の供用行為として公法上の法律関係にあるものであつて、右供用行為を開始するについては、被告の水光費の支払義務の履行を条件としたのが熊大の提案であるから、その提案によつて仮に熊大と被告との間に合意が成立したとしても、それは依然として公法上の法律関係にあるものであつて、被告の主張する「交叉申込」、「同時履行」等私法上の契約として成立する余地はない。このことは国有財産法第一八条第一項および物品管理法第三〇条に「出資の目的とし、またはこれに私権を設定することができない。」という規定があり、この趣旨からしても当然である。

同(二)の主張は争う。

同(三)の主張は争う。本件水光費については、熊大が契約名義人となつて、電力については九州電力株式会社、水道については熊本市水道事業管理者との間において供給契約を結んでいるため、電力会社等に対する水光費の支払債務は熊大が負担しているものである。熊大は右債務を弁解するためには熊大の使用に係るものと被告の使用に係るものとを国有財産使用許可書、了解事項および覚書に基づいて計算し、熊大の負担額については国費で、被告の負担額は被告から徴収してこれらを合わせて熊大の債務として電力会社等に対して弁済していたものである。しかるところ、被告は前記のとおり被告負担にかかる水光費の支払をしないため、熊大は、熊大が電力会社等に対して負う債務のうち、当然熊大において負担すべき水光費の額を国費でまかない、また、被告が負担すべき水光費未払額に相当する額を熊大学生部長から国費以外の私金を一時借用して、支弁したものである(これは昭和四三年一一月分から昭和四五年五月分まで続いた。)。右借用金は熊大と学生部長との間で消費貸借契約による受け入れ金として、熊大が現在もなお学生部長に返還すべき債務を負担しているものである。要するに、学生部長から熊大への金員の交付は債務の弁済でない。また、そもそも、第三者弁済とは第三者が債務者の債務を弁済する意思をもつて債務を弁済することであつて、これを本件についてみるに、学生部長が被告の債務を弁済する意思をもつていなかつたことは明らかである。したがつて、被告の第三者弁済があつた旨の前記主張は理由がない。

5 同5の事実のうち、第三目録の動産がその主張する厨房において使用される調理用備品であることは認め、その余は否認する。

6 同6の事実は否認する。

7 同7の主張は争う。

二、抗弁二の不法占有ではないとの主張は争う。

1 同二の1の事実のうち、被告が第二目録の①の部分をその主張のように使用していたことは認め、ロビーとしての効用は変りないとの点は否認し、その余は知らない。被告は熊大の昭和四八年一一月一四日付「国有財産に対する違法行為を行なわないように」という文書による警告にもかかわらず、右①の部分の北側および南側にそれぞれ四枚の上下開閉シャッターを、その東側に同じく上下開閉シャッター六枚を設置して、西側のコンクリート壁面とあわせて占有区画(108.36平方メートル)を設け、年間を通して当該部分を展示会等に使用するほか、昼夜を問わず商品置場や売店として使用し、そのため、通路が制限されロビーとしての利用が不可能となつた。もともと右①の部分は、被告設立以降暫くは、被告が熊大の許可を受けて年三回位(一回約三日ないし一週間)新入生用等と称し、展示即売会を開催する等して使用したことはあつたが、昭和四四年度以降は無許可で使用していたもので、熊大は被告に対し使用許可申請の手続をとるよう警告したにも拘らず、被告はこれを無視し、無許可でロビー等を使用していたものである。しかし、その使用は不法であるが、一時的なものであつたから、当時はロビーとしての効用は保たれていたが、今回は前記のとおりロビーとしての利用が不可能となつたものである。

2 同2の事実のうち、第二目録の②の部分が被告主張のとおりの効用を有していたことは認めるが、熊大が教職員・学生に対する福利厚生施設の維持整備を放棄しているとの点は否認し、その余は知らない。

右②の部分はもともと左右の集会室あるいは和室等への通路としての効用を妨げない範囲で熊大が数脚の椅子、テーブルを配置して談話室として学生一般に利用させていたものであるが、被告は熊大の前記警告にもかかわらず、右②の部分の東端部分にガラス扉および固定ガラス戸を設置するとともに、各集会室への出入口にベニヤ板を打ち付けて出入りができないようにする等して通路部分を仕切り、独立の部屋(116.16平方メートル)としたうえ、内部をカーテン等で装飾し、新たに椅子三八脚角テーブル一八台を置き、喫茶室と称し、使用するに至つた。そのため当該部分は通路としての効用が失われた。

3 熊大は被告経営の学生会館食堂に代わるものとして、熊大黒髪北地区に北地区食堂(鉄筋コンクリート造二階建、延一一五五平方メートル)を建設し、一階食堂(四〇〇席)、二階喫茶室(四〇席)、特別食堂(四八席)、合計給食能力一日三五〇〇人分を設け、また、熊大黒髪南地区・理工地区(以下南地区という。)に既設建物(木造平家建五七九平方メートル)を改造し、南地区食堂(一八六席、給食能力八〇〇人分)を開き、学生、職員の福利施設として学生職員の利用に供している。さらに南地区において既設の食堂に代るべき建物(鉄筋コンクリート造二階建、延九七〇平方メートル)を新設する予定である。なお、北地区食堂内に書籍、学用品、日用品雑貨等の売店施設(八三平方メートル)を準備中である。また、熊大の方針としては、被告が不法に占有している東光会館、通称学生会館の施設を被告退去後は、これを抜本的に改修補修して多数の学生が有意義に利用できるような各集会室やロビーに改め、学園生活の環境をより充実させることをすでに決定しており、全学生、教職員に公報して徹底させている。

三、同三の主張はいずれも争う。

(証拠)<省略>

理由

第一第一目録の被告使用部分の明渡および第三目録の動産の引渡並しに損害金の各請求について

一第一目録の被告使用部分の使用ないし明渡請求並びに第三目録の動産の使用ないし引渡請求に至る経緯

1  請求原因一、二、四の1、2の各(一)、五の1の各事実は当事者間に争いがなく、同三の1の事実は被告において明らかに争わないから自白したものと看做す。

2(一)  <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1) 昭和二〇年代の半ば、熊大が新制大学として発足したころ、未だ戦後の国内情勢が不安定で物資が極度に不足し、各大学における教職員・学生の生活状況は劣悪を極めていたが、各大学では教職員・学生の生活困難を克服するため多くの厚生団体が結成され、熊大においても昭和二五年被告の前身である熊大厚生組合(以下、厚生組合という。)が設立された。厚生組合は教職員および学生を組合員とし、学生の厚生福祉に関する事務を所管する学生部の監督の下に規約上学生部長が組合長となる教職員および学生が理事になり、熊大から旧東光会館(第一目録の1の建物)の一部その他を無償で借り受け、営利を目的とすることなく、教職員・学生のために食事を提供したり、書籍・学用品および日用品等の販売等の教職員・学生の福利厚生に関する事業を行なつてきた。

それに伴い、厚生組合は組合を利用する教職員・学生数に対応するため、昭和三六年ころ熊大に対し、食事をする施設の拡充等を要請し、当時、文部省が各大学において建設を開始しつつあつた学生会館の建設を推進する運動等を展開したが、昭和四〇年に教職員・学生の厚生福祉の増進と学園生活の充実をはかることを目的とする熊大学生会館(第一目録の2の建物)が建設された。そして、厚生組合の事業は年ごとに拡大し、昭和四〇年度には、年間総事業量が一億円を超え、組合員一人当りの利用高は年間約二万数千円に達するに至つた。

(2) ところが、昭和四〇年は諸物価が上昇する中で厚生組合の事業の合理化にもかかわらず、教職員・学生に供給している定食の価格の値上げが予想された。厚生組合は、右定食価格を値上げした場合、それだけに止まらず、熊大周辺の食堂、下宿代の値上り等を招来し、ひいては教職員・学生の生活を圧迫することになると考え、それに対処するため、昭和四〇年一二月当時の学長であつた柳本武との間で話し合いを行ない、同学長からつぎのような確認をえた。

「一 大学は基本的に学生の生活を守る立場に立つて運営し、その為には熊大の枠内でできる限りのことをする。

一  水道は当面半額とするが、全廃という要求については今後なお検討する。

一  教科書は学生の便宜、価格から考えて当然厚生組合に一元化すべきであり、大学が購入する図書は原則として全部厚生組合から購入する。

但し、公費による購入先を指令することは法的にできないので、教科書問題と共に図書館長、評議会に対して協力を要請する。

一  厚生関係予算を別枠で設定する予定であるが、今年度中もできる限り援助する。」

そして右学長確認事項のうち、水道料の半額および公費による図書購入の件が若干実施されたほか、熊大が厚生組合に対し、無償で貸与する熊大の施設および設備備品も次第に増加し、昭和四一年ころには、厚生組合は旧東光会館(第一目録の1の建物)、東光会館・学生会館(同2の建物)、法文売店(同3の建物)、工学部喫茶室(同4の建物)および東光会館分室(同5の建物)の各一部を厨房、売店等として使用するようになり、厨房において使用される設備備品も多数になる等、熊大においても予算上の制約および研究・教育施設の整備を優先するという制約はありながらも、教職員・学生の福利厚生に意を用いてきた。

(3) そのほかに、厚生組合は熊大に対し、理工地区厚生センターの開設(理工学のある南地区に食堂、売店等の福利厚生施設を設けること)、学生会館厨房・売店の設備の改善、備品の充実等についても実現するよう要請してきた。

以上の事実を認めることができる。

(二) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  事業規模の拡大に伴い、厚生組合は商品の仕入等の対外的な経済活動上の信用と便宜、責任ある体制で厚生事業活動を行なうという考慮および他の大学でも生協に組織変更されていること等から厚生組合を消費生活協同組合法に基づく法人に組織替えしようとする動きが厚生組合内部から起こり、昭和四一年六月八日熊大の教職員八名を含む二〇数名からなる熊大生協設立発起人会(代表発起人・熊大教授山内一男)が結成された。右発起人会は設立趣意書により替同者を募る等して設立を準備する一方、同年一〇月四日右設立発起人である厚生組合の理事数名が学生部長に面会し、設立趣意書、定款案、事業計画書、発起人名簿等を提出するとともに、同年一一月下旬に創立総会を予定していることを告げ、生協設立に関し、熊大の協力をえたい、生協の事業所として従前どおり熊大の施設を貸与して欲しい、県知事に対する生協設立の申請に必要な右貸与する旨の副申書を書いて欲しいので、話し合いを行ないたい旨申し入れた。これに対し、学生部は当初時期尚早と考え法人化に消極的であつたが、当時の柳本学長の法人化に協力するようにとの指示により学生部も積極的に取り組み始め、同年一一月二八日に熊大の学生部および事務局の担当者と前記発起人会代表との間に話し合いがもたれるに至つた。

そして、同年一二月二日、熊大は大学の秩序維持および国有財産管理の見地から、熊大の施設を貸与し、その旨の副申書を作成する前提条件として、発起人会側に対し、四項目の提案をし、発起人会側も三項目の提案を行ない、生協設立の大綱・基本方針が互いに確認されこれを尊重することが確約された。続いて、同月六日に行なわれた話し合いにおいて、熊大側は、前記発起人側の要望につき評議会の了解をうるため前記大綱の施行細則七項目の確認を主張し、その条項の字句の修正が行なわれたうえ双方で確認された。

(2)  これに基づき、前記発起人会は同月一七日学長に対し熊大生協設立に伴う事務所施設の貸与願いをなし、一方、熊大は、評議会において被告の設立に関する検討を加えたうえ、前記発起人会に対し、前記一の1の確認事項を内容とする「熊大生協設立に伴う確認書」(これには、左の事項について確認し、相互に尊重するという前書がある。)および同了解事項を内容とする「確認書に伴う了解事項」(これには、以上のことは確認書と矛盾してはならないという後書がある。)と題する各文書の署名押印を求め、昭和四二年二月一七日学生部長山田昌司および事務局長野口義人と被告設立発起人代表山内一男との間で右両文書の調印が行なわれた。これにより、熊大は右発起人会に対し大学の施設貸与に関する副申書を作成し、対熊大との関係でも被告設立の準備は整うに至つた。

以上の事実を認めることができる。

被告代表者本人久保田一郎の供述中、昭和四一年一一月二八日以降の熊大と被告設立発起人会との話し合いは、大学の施設の貸与をうけることに関してのものではないとの部分は、<証拠>に照らし、にわかに信用できず、その他前記認定を覆すに足りる証拠はい。

(三) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  前記被告設立発起人代表は、熊本県知事に設立の認可申請を行ない、昭和四二年四月一日付で認可を受け、さらに同年六月三〇日その登記を完了し、ここに熊大生協すなわち被告の設立をみた。これに伴い厚生組合は解散し、その資産と権利義務一切は被告に承継されるとともに、被告の役員は、理事長に厚生組合長兼被告設立発起人代表であつた熊大教授山内一男が就任したほか、教職員七名、学生一〇名、被告の職員二名の計二〇名の理事で構成された。そして、被告の定款によれば、被告は原則として、熊大の職員および学生並びに熊大内の諸団体に勤務する者を組合員(なお、昭和四二年度から昭和四五年度までの新入学生の加入率は、九五%前後である。)とし、組合員の相互互助の精神に基づき民主的運営により自らの文化的、経済的生活の安定と向上をはかることを目的として、組合員の生活に必要な物資(書籍、学用品、衣料、電気器具、食料品、家具、化粧品、薬品、雑貨、たばこ、切手、印紙等)を購入し、これを加工し、もしくは加工しないで組合員に供給する事業、組合員の生活に有用な協同施設を設置し、組合員に利用せしめる事業(食堂、喫茶、万年筆・時計の修理、クリーニング、理髪理容、写真の焼付・現像・引伸等)および組合員の生活の改善および文化の向上をはかる事業等を行なうものと認められた。

(2)  そして、昭和四二年七月一日熊大は被告に対し、厚生組合がかねてから厨房、売店等として使用していた第一目録の1の建物(旧東光会館・通称学生部)の①の部分、同2の建物(東光会館、通称学生会館)の②の部分、同3の建物(物置、通称法文売店)の③の部分、同4の建物(食堂、通称工学部喫茶室)の④の部分および同5の建物(東光会館分室、通称工学部書籍部)の⑤の部分につき、同年一二月一日同6の建物(薬品製造工学教室、通称薬学部食堂)の⑥の部分につき、いずれも職員・学生の福利厚生施設(国有財産使用許可書の指定する用途)として、ついで、昭和四四年五月一〇日には同7の建物(東光会館別館、通称生協事務所)につき、被告の事業所として、前記一の1のとおり使用許可を与えた。そして、国有行政財産である大学の施設を使用する場合、本来は有償であるが、被告の場合はその前身である厚生組合のときから無償であつたことのほかに、被告は熊大の教職員・学生を構成員としてその生活の安定と福祉の増進を主たる目的とし、食堂、喫茶、学用品・日用品の販売等学長が教職員・学生の厚生福祉のため必要と認める事業を行ない、しかも熊大が被告の事業報告書を提出させるなどしてその運営につき指導を行なう団体であるとして無償使用が認められた。

また、熊大は被告に対し、前記使用許可に付帯して同年七月一日あるいは同年一二月一日第一目録の①の部分、同②の部分あるいは同⑥の部分のうちの各厨房に備え付けた調理用備品である別紙第三目録の動産を前記一の1のとおり使用させた。それからの大部分は熊大が厚生組合に対し無償で使用させてきたものであり、被告の場合も厚生組合の場合と同様物品供用官による供用という考えで無償とし、学内あるいは会計検査院の物品の検査があるときは、物品供用官が責任者として立会うものとされた。

(3)  被告は設立後、教職員・学生の福利厚生の充実という見地から、熊大に対し、理工地区センターの開設、電気基本料の見直し、水道料の値下げ、事務室・倉庫・プロパンガス収納庫の建築、焼却炉の取り付け、学生会館・工学部喫茶室各厨房の補修、学生会館ホールシャッターの設置、学生会館電気配線の取り替え、学生会館ホール・便所の排水管取り替え、旧東光会館厨房の食卓椅子・学生会館厨房のガスレンジ・工学部喫茶室厨房の冷蔵庫の購入、工学部喫茶室・学生会館の各厨房の換気扇、螢光管の取り替え等を要請してきた。これに対し、熊大は、被告が提起する右のような諸問題について、当初は学生部厚生課が窓口となり、ついで評議会の生協小委員会が担当してきたが、昭和四二年一二月には被告の要望に対する対応を早くして欲しい旨の要請もあつて、評議会に第三部会特別委員会(以下、三特という。)が付置され、これにあたつてきた。右三特委は生協問題に関する学長の諮問機関として評議会第三部会(学生の厚生補導等を扱う部会)委員長、同委員、学生部長、学生部委員、および事務局長ら事務局職員で構成され、被告の提起する要望、問題につき審議立案するという趣旨で設置されたものであり、被告の前記要請は、熊大が実施・実現する等して大部分は解決され、その余についても要請に副う方向で検討された。

3 <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(一) 昭和四三年には、被告は熊大の教職員・学生に対し、一食八〇円の定食を一日約三〇〇〇食年間約一〇〇万食供給していたところ、同年九月政府が四年連続して消費者米価の値上げを決定したが、これに伴い諸物価の高騰が予定され、被告において材料仕入れの合理化その他の内部努力をしても昭和四四年度は約四五〇万円ないし五〇〇万円の赤字がでることが見込まれ、ひいては被告の運営する食堂の定食価格の値上げが避けられなくなることから、被告は前記消費者米価の値上げを機に昭和四四年度からの定食価格値上げ阻止のため、三特委に対し、理工地区厚生センターの開設(これによつて、教職員・学生の利用度を含め、一食当りの経費を少なくしようとする意図による。)、水光費全額国庫負担(被告が事業を行なうにおいて必要な水道料・電気料を大学がその経費によつて負担すること)等を要求した。

その際、被告はつぎのような見解を表明してきた。

被告は営利を目的とすることなく大学の本来の使命である大学における研究・教育と密接に関連する教職員・学生の福利厚生に関する事業を行ない、教職員・学生の生活を守つてきたが、諸物価の高騰の中で、教職員および学生の生活は全般的に苦しくなつているので、熊大においても、昭和四〇年一二月の柳本学長との確認事項「大学は基本的に学生の生活を守る立場に立つて運営し、そのためには熊大の枠内でできる限りのことはする。」という認識に立つて、教職員・学生の生活の問題を真剣に考えて欲しい。被告の定食価格は直ちに熊大周辺の食堂の食事代や下宿代に波及するので、定食価格値上げの影響は大きい。理工地区厚生センターについては、熊大においてもそれが必要であることは昭和三九年当時認めていたにもかかわらず、当時から学生の厚生関係に使用しうる施設の坪数には制限があるといつて実現が遅れているが、熊大は熱意がないのではないか。水光費全額国庫負担の問題にしても、国立宮崎大学において現に行なわれているし、(事実、当時同大学が負担していた。)、熊大においても知命堂、学生集会所の食堂の業者に対し、水光費の援助をしているのであるから、受益者負担の原則は支障にならないし、そもそも被告は営利を目的としないし、熊大が教職員・学生の生活を守るという立場をとるならば、受益者負担の原則は、結局教職員および学生の生活に負担を課することになるのであるから、それを適用する余地はない筈である。また、水光費の徴収を規定している昭和三三年一月七日蔵管第一号(文部大臣官房会計参事官宛大蔵省管財局長通知「国の庁舎等を使用又は収益させる場合の取扱いの基準について」(以下、蔵管第一号という。)も行政指導であるから、協議の道があるのではないか。

これに対する三特委の見解はつぎのようなものであつた。

被告が教職員および学生の福利厚生を目的とすることから諸物価の高騰に伴う学生らの生活の困難を除去しようとすることは理解できるし、一体となつて解決に当りたい。理工学部地区にも福利厚生施設が必要であることは首肯するが、研究・教育施設の方が優先せざるをえないからその実現に時間がかかるのはやむをえないし、厚生施設用の坪数の制限の問題もある。水光費については、学生集会所等の件は被告の誤解であるし、熊大は蔵管第一号等の法令その他文部省の指示には従わざるをえないし、受益者負担の原則は社会通念であるから、熊大が水光費を全面的に負担することはできない。しかし、教職員・学生の生活が苦しくなつている情勢から、その負担を軽減する何らかの方策を考えるにやぶかさではない。

(二) 被告は三特委に対し、右理工地区厚生センターの開設、水光費国庫負担等の問題につき、昭和四三年九月一二日以降度々交渉の申入れをしても、三特委側の事情で交渉が持たれなかつたこと、そのため三特委に対し学長との交渉の斡旋を申入れた結果、三特委と行なわれた同年一月一五日の交渉においても三特委側の委員の出席者数の少ないこと、また、三特委が約束した施設の整備、備品の購入等が遅れていたこと等から、被告は三特委に対し不信感を持つとともに、組合員に熊大との交渉の経過を知らせる意味において、同月一九日、学長に対し公開質問状を提出し、その中で理工地区厚生センターの開設、水光費全額国庫負担の問題等につき前記趣旨の見解を述べ、熊大側の見解を問うとともに再度三特委に代つて学長自身が交渉に応ずるよう求めた。これに対し、三特委は学長を交渉機関とすることはできないということと理工地区厚生センター、水光費の問題につき、前記のような見解を回答した。

その前後、熊大で教職員および学生に対し、文書でもつて大学の見解を周知させる一方、各クラスでは前記定食値上げの問題につきクラスごとに選出された被告の総代会の代議員を中心にして討論が行なわれたり、同年一二月一三日には、工学部において熊大側・被告側双方の言い分を聞く集会等が催された。以上のような経緯の中で、学生らの間に大学と被告といずれの見解が正しいか明らかにさせるためにも公開で交渉を行なうことを求める声が強くなるとともに、被告においても組合員である教職員・学生の面前で定食値上げ阻止の問題について交渉する方が公正であるとする考えから、熊大に対し、公開学長交渉を申し入れ、熊大としてもこれに応ずるに至つた。

以上の事実を認めることができる。

(三) <証拠>によれば、昭和四三年七月ころ、九州地方の大学生協が集まり、会議が持たれた際、消費者米価その他の諸物価の値上りの中で、大学生協の定食価格値上げ阻止のため食費援助獲得運動を行なうことが決まり、それはその後から昭和四四年一月ころにかけて、水光費全額国庫負担の要求という形で具体化され、国立宮崎大学、同九州大学および同長崎大学等がその要求運動を行なうに至つたことが認められる。

4(一) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  公開学長交渉に先立ち、熊大と被告は予備折衝を行ない、交渉の方式については双方の代表者である交渉委員が交渉にあたり、他の者は傍聴人として発言を認めないこと、学長柳本武の健康状態を考え、熊大と被告がそれぞれ要請する医師からなる医師団を待機させ、同学長の健康を管理すること、議題は、理工地区厚生センターの開設、水光費の全額国庫(大学)負担、什器備品の全額国庫(大学)負担および被告と大学のあり方の四点とすること等を決めた。その後、熊大は交渉において提示すべき右四議題の回答について検討を加え、一方、被告は年が明けると試験、春休みが控えていることや熊大の予算編成時期の問題等から昭和四四年度以降の定食値上げを避けるには、昭和四三年中に交渉を終了したいと考えた。

(2)  第一回公開学長交渉(以下、第一回交渉という。)は、昭和四三年一二月二〇日午後一時から学生会館二階大ホールにおいて、熊大側は柳本学長および同学長の指名した三特委委員(同委委員長小貫章、学生部長忽那将愛ら)が、被告側は理事長森田誠一以下理事一〇数名が出席し、約一〇〇〇名の教職員・学生が傍聴する中で開催された。

冒頭、柳本学長が交渉に臨む姿勢を明らかにし、その後、被告がこれまで三特委等の大学の交渉機関が十分には機能してこなかつたのではないか、あるいは生協問題に関する今後の交渉機関をどうするかという問題を提起し、これらにつき論議された。ついで、理工地区厚生センター開設の問題に移り、熊大は二、三年先を目途に約三〇〇坪の恒久施設を建築するというA案、既存の工業化学実験室を改造して暫定的に開設するというB案を提示し、被告は昭和四四年度からの値上げに対処しなければならないという観点からB案を選択し、その具体的細目については今後両者で協議することになつた。その後、水光費国庫負担の問題となり、熊大は財政法、蔵管第一号、受益者負担の原則等から被告が使用した水光費を負担することはできないが、理工地区(南地区)の水道料の一立メートル当りの単価を一六円から一〇円にし、北地区についても井戸を掘り単価を下げるという提案をした。これに対し、被告側は右案に納得せず前記3の(一)のような主張をし、双方で意見の交換が行なわれたが、結局、柳本学長が水光費を熊大が負担するにつき支障となる法令その他を被告のような大学生協に適用しないように国立大学協会等を通じて文部省や大蔵省等の関係当局に働きかける、学生集会所、知命堂の問題については調査うえ明らかにする旨回答するにとどまつた。同日の交渉では、理工地区厚生センター開設の件を除き、双方の主張が平行線のままであつたことから、次回交渉期日を同月二三日として交渉の続行を決めた。

(3)  第一回交渉は、同日午後一〇時ころ、なお交渉を続ける意思を有する柳本学長を医師団が診察した結果、血圧が高くなつていることが判明したため、中断されたが、交渉に臨む被告側においても熊大における初めての試みということから、不慮の事態が起こらぬよう配慮したし、傍聴する学生らに対しても自重を促したため、野次、拍手等はあつたものの、三回の休憩をはさみ概して落着いた雰囲気の中で行なわれた。

以上の事実を認めることができる。

(二) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  昭和四三年一二月二三日学生会館二階大ホールにおいて、前回に引き続き交渉を行なうことが予定されていたが、柳本学長の健康が回復しなかつたことから、同日午後一時に交渉は中止されることになつたところ、傍聴のため集まつていた学生らが抗議集会を開いた。その際、同会館一階の学生部が管理のため入つていた部屋において、学生部次長ら数名の職員が第一回交渉のときと同様に集会の模様をテープレコダーで録音しているのを被告の理事が見つけるという出来事が生じた。

(2)  他方、被告は従来から熊大との話し合いが延ばされてきた経緯もあり、熊大に責任ある交渉を求めるための戦術として、熊大からの昭和四三年一一月分以降の毎月の水光費の請求額は、被告の経費として計上して積み立てておき、交渉が妥結した時点で直ちに支払うという考えのもとに、同年一二月二三日付で熊大に対し、「現在係争中のため解決するまで電気、水道料金の支払を保留するので、御了承下さい。」という旨の通知を発した。これに対し、熊大は被告に対し、同月二五日付で被告の水光費負担を定めた前記一の1の確認事項および了解事項並びに覚書に違反する行為は認められない旨の通告をした。

(3)  昭和四四年一月五日ころ、被告の森田理事長は小貫三特委委員長から「柳本学長の意向だが、収拾策について学長宅で相談したい。」旨の電話連絡を受けたが、早期解決が望ましいとのかねてからの考えのもとにこれに応じ、同日柳本学長宅で病床にある同学長、小貫三特委委員長および森田理事長ほか二名の教官理事が会合をもつた。席上、小貫委員長は将来被告に蔵管第一号等を適用しない方向で努力はしていくが、現時点では被告の水光費に関する負担を実質的にカバーするということ(後記第三回交渉における熊大側提案とほぼ同じ内容のもの)を考えている旨話し、森田理事長ら被告理事はそのような案であれば妥結が可能かも知れないという感触を述べるとともに、それを被告理事会に伝えることを約した。そして、理事会において右案を検討した結果、必ずしも満足できるものではないが、最終的には、そのような案で妥結せざるをえないであろうとする見解が支配的であつた。

(4)  第二回公開学長交渉(以下、第二回交渉という。)は、同月二四日午後一時から前回と同じ学生会館二階大ホールにおいて、双方とも前回と同じ交渉委員が出席し、約一〇〇〇名の学生・教職員が傍聴する中で行なわれたが、交渉開始に先立ち、熊大側では柳本学長の健康状態から同学長が退席した場合、忽那将愛を学長時代理とすることを決めていた。

同日の議題として、被告は冒頭に前記(1)の学生部職員による録音問題を取り上げ、これを盗聴行為であると批難した。これに対し、柳本学長は当初そのようなことがあつたことを知らなかつたが、録音の事実が明らかにされたので、結局盗聴であると認め謝罪の意を表した。だが、これがきつかけとなつて熊大が日頃学生に対し行なつているといわれる自治規制の問題にまで議論が発展し、以上の問題で数時間を費やした。その後、水光費および什器備品の議題へ移つたが、熊大側の提案は、同月五日学長宅で小貫三特委委員長が示した試案とは異なり、第一回交渉時と大差ないものであつたかことから被告側の受け入れるところならず、結局、熊大は右提案を撤回し、次回までに検討してくることになつた(なお、第二回交渉においては、後記確認書記載の事項についても話し合われた。)。そして、交渉の途中柳本学長が医師の診断の結果退席したのに伴い、以後忽那将愛評議員が学長臨時代理として交渉に当り、同日午後一〇時ころ、つぎのような確認書二通が作成され、忽那学長臨時代理と森田理事長が署名押印し、同日の交渉は一応終了した。

「一 昭和四三年一二月二三日抗議集会の議事を学生部次長以下数名の職員がテープレコーダーに録音したことは、盗聴行為と認め謝罪する。

一 昭和四三年一一月二九日付回答は全面的に撤回する。

一 評議会名による教職員に対するビラは撤回し、陳謝する。今後一切このようなことはしない。

一 水光費および什器備品についての回答は撤回し、全廃の方向で再検討する。

一 理工地区厚生センターについて早急に打ち合せできる体制を作る。

一 一項および三項については謝罪の旨公示する。

一 一月二八日午後一時から公開学長交渉を再開し、再検討の結果を回答する。」

(忽那学長臨時代理が水光費につき「全廃の方向で再検討し、次回に回答する。」と約したことは当事者間に争いがない。)

(5)  同日の交渉は野次がとんだり、盗聴問題で傍聴の学生らが興奮する場面があつたものの、概ね平穏裡になされたほか、医師団も待機し途中休憩をとりながら行なわれた。

以上の事実を認めることができる。

(三) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  第三回公開学長交渉(以下、第三回交渉という。)の差し迫つた昭和四四年一月二七日ころ、被告の森田理事長は忽那学長臨時代理から呼び出しをうけ、他の教官理事二名とともに会談したが、その際、忽那学長臨時代理から熊大の考えている第三回交渉における妥結案(後記第三回交渉における熊大の提案と大体同一内容のもの)の説明を受け、協力を要請された。これに対し、森田理事長らは同月五日ころ柳本学長および小貫三特委委員長からもそのような内容の提案があつた旨話すとともに、その案で妥結しようと答えた。その後、森田理事長は理事会に忽那学長臨時代理との会談の内容を報告し諮つた結果、理事会は差し迫つた昭和四四年四月一日以降の定食値上げを阻止するには、後期試験、入学試験および卒業式等の大学の行事や春休みを控えて時間的余裕がないことから、第三回交渉以後も交渉を続行することは困難と判断し、また、熊大側において水光費全額国庫負担の方向で努力していくともいうのであるからそれに期待し、最終的には前記提案の線で妥結する方針で交渉に臨むことを決めた。

(2)  第三回交渉は、同月二八日午後一時から前二回と同じ学生会館二階大ホールにおいて、熊大側交渉委員の代表が柳本学長に代り忽那臨時代理となつたほかは、熊大・被告双方とも前二回とほぼ同様の交渉委員が出席し、約一〇〇〇名の教職員・学生が傍聴する中で行なわれた。

冒頭、忽那学長臨時代理は被告側に対し、水光費については熊大は今後とも関係各方面に働きかける等して国庫負担の方向で努力してゆくが、現時点では次の案を大学の最終案としたいとして提示した。

「一 水光費については

1) 電気料金のうち、基本料金(年額約一四万円)は大学において負担する。

2) 従量電力料(年額約三五万円)および水道料(年額約二五万円)は生協が負担する。

3) 但し、右の従量電力料および水道料の合計額(年額約六〇万円)を什器の更新費等のかたちで大学が負担する。

4) さらに、湯茶給与の費用として年額約二〇万円を大学が負担する。

二  什器備品については

1) 理工地区厚生センターの初年度設備として什器購入費(約九〇万円)を大学が負担する。

2) なお、このセンターの暫定開設のための建物改修費として、今年度内大学が支出する金額は約三〇〇万円である。また、昭和四四年度予算による厨房設備は当然大学負担であり、その詳細は両者の協議に残されている。」

(熊大が右案を提示したことは当事者間に争いがない。)

右案のうち、水光費に関する熊大の提案の趣旨はつぎのようなものであつた。すなわち

被告の要求している水光費全額国庫負担は、蔵管第一号が水光費につき「相手方の使用した電気料、水道料は必ず徴収しなければならない。」と明定していること等から実施不可能なものであつて、大学の裁量で直ちにその要求を満たすことはできないが、学生らの福利厚生は態大においてもできる限り考えるべき問題であるとの見地から、それに代えて実質的にその要求を満たすことを考えた。まず、電気料のうち基本料は、従前熊大と按分して被告から徴収していたが、それは大学の施設に電気設備をすれば、その管理者である大学が電力会社に当然支払うべきものであつて、使用した量に応じて支払う使用電気料とは異るので、蔵管第一号の前記使用料徴収の規定に抵触しないと解釈しうることから、それについては熊大が負担することにした。従量電力料(基本料を除く電気の使用料)および水道料は蔵管第一号の前記規定がある以上、これまでどおり毎月被告が熊大に対し支払う。但し、これまでは鍋、包丁、丼、皿、小鉢、箸等の什器類は汚損あるいは破損した場合、被告が自ら購入し補充してきたのであるが、これを被告が負担する前記金額の範囲で被告の要求に従い熊大の方で購入し被告に供与する等の措置をとる。このように什器の面で被告の経費を削減する等して、収支計算上被告が従量電力料および水道料を負担しないのと同様にする。さらに、今まで食堂において教職員および学生が湯茶を飲む費用は、被告が負担していたが、熊大の方で食堂ホールに湯茶器を備え付け湯茶を供するようにし、その費用年額約二〇万円を熊大で負担する。

(3) 前記案につき逐条ごとに質疑応答がなされるとともに、南地区の水道料の一立メートル当りの単価、北地区における井戸の掘さくによる単価の引下げ等の関連問題が討議された。被告側にとつては右案が事前に忽那学長臨時代理から知らされたものとほぼ同様な内容であつたし、それは実質的には被告の要求を満たすものであつたことから、それを拒否する態度はとらなかつたが、なお、熊大の水光費国庫負担に対する基本的な姿勢、とりわけ蔵管第一号および受益者負担の原則を被告に適用することをどう考えるか説明を求めた。これにつき、双方の見解は従前どおりであり平行線をたどつたままであつたが、被告はそれはそれとして拘泥せず、前記案の二の「什器備品については」は異論ないのみならず水光費の件についても被告の負担を実質的に免除することになる前記案で妥結する意思を有していた。しかし、傍聴の学生らが右案を不満とし水光費全額国庫負担の要求完全実施を強く主張したこと等から、被告側は熊大側の前記提案に対する回答を留保したうえ、水光費国庫負担に対する考え方の問題についてのみ再度取り上げることにし、次の議題へと進んだ。

(4) 被告と大学の今後のあり方については、まず、熊大側が基本的に被告発展の方向で努力することを約し、ついで、被告側が前記確認事項・了解事項の破棄を要望し、熊大側はそれらにつき改正すべき点があることを認め、その改定について協議の用意があると回答した。さらに、被告側は昭和四三年一二月ころ熊大が配布した「学生諸君へ」あるいは「事実はこうだ」と題する一連のビラを非難し、結局、熊大側はビラの撤回と謝罪を約した。その他、被告側は今後熊大と交渉をする際の交渉機関、交渉の方式についても要望した。そこで、再度水光費国庫負担の問題に還り、被告側がどのような理由および根拠で国庫負担という形がとれないのかを質問し、双方で討論を重ねたが、前回同様主張は平行線のままで何ら進展はみられなかつた。このようにして時間が経過してゆく中で、被告側は、現在忽那学長臨時代理は交渉に出席しているが、前回休憩時の容態から、今後長時間交渉を継続することは困難であろうと判断し、第三回交渉で熊大との間に確認されたと考える事項を文書化し、交渉をこの段階ですべて収拾することを決めた。そのころ、容態が悪くなつた忽那学長臨時代理は周囲の人の勧めもあり、森田理事長に対し、医師の診察を受けたいので休憩したいと相談したところ、森田理事長は「あなたに倒れられてはこの交渉は続けることができなくなるから、診察を受けて下さい。」と快く応じた。

(5) 以上のような経過を辿つた末、被告側は意思を統一して確認書を作成するとともに、水光費国庫負担を要求する声が強い傍聴学生らを説得し、その同意をうるため、熊大側に対し休憩を申入れ(もつとも休憩の意図は熊大側に説明しなかつた。)、熊大側も忽那学長臨時代理の二回目の医師団による診断を受けるため同意し、双方休憩に入つた。休憩中、被告側は控室で理事会を聞き、前記熊大の提案を受け入れ交渉を終息することを全会一致で決め、確認された事項はどれか検討を加えた後、つぎのような確認書二通を起案した。

「一 水道光熱費については撤廃の方向で交渉を継続する。

1) 水道光熱費は全額国庫負担の努力をする。

2) 電気の基本料金は徴収しない。

3) 南地区の水道料は一〇円(一立メートル当りの単価)に改める。

4) 水道料は井戸を八月までに掘つて井戸水を使用することによつて、三円ないし四円(一立メートル当りの単価)にする。

5) 食堂ホールにおける湯茶の水道料・ガス料として年間二〇万円を大学が負担する。

二  備品について

備品については保守更新を含めて全面的に大学が負担する。

三  什器について

1) 四四年度六〇万円を大学が購入する。

2) 今後これを年々増額するよう努力する。

四  理工地区厚生センターについて

1) 三〇〇坪程度の恒久施設を四七年度から使用できるように建設する。

2) 暫定施設として工業化実験室跡(約二〇〇坪)を改造して使用する。

3) 四三年度中に三〇〇万円をかけて改造し、厨房以外の部分を使用できるようにする。

4) 厨房については四四年度予算で五月から使用できるようにする。

5) 初年度調弁費として九〇万円を使用する。

6) 運営は生協が行なう。

五  今後のあり方について

1) 生協設立時の確認書並びに了解事項は破棄する。

2) 「学生諸君へ」という四枚のビラは次の理由により撤回し謝罪する。また、その旨公示する。理由①事実誤認②生協に援助してやつているという間違つた考え方によつている。③三特委が責任を果しているような書き方

3) 今後の交渉は学長を含む評議員で構成された大学の代表機関があたる。

4) 交渉は原則として公開とする。

5) 交渉の申し入れがあれば、一週間以内に必ず応じる。」

また、休憩に入ると同時に被告学生理事らが傍聴の学生らに対し、不本意な点はあるが、交渉は本日で打ち切る。確認されたことについては、確認書を作成し完全に執行させる。今後、生協問題は学長を含めた評議会と交渉し、それは原則として公開で行なう等の態度を表明し同意を求めた。これに対し、学生らから「被告の態度はおかしい。」、「暖味な妥協はするな。」等の意向も出されたが、学生理事らが、今ここで妥結しなければ被告の交渉の重要な目的であつた昭和四四年度からの定食値上げ阻止が危ぶまれると説得し、学生側も被告側の態度を支持するに至つた。

一方、熊大側交渉委員は、休憩に入ると会場である学生会館二階大ホールのすぐ裏の大学側控室において、忽那学長臨時代理が診断の結果交渉に出席できないことになるであろうとの予測の下に待機していたが、その場合には忽那学長臨時代理のほかに代理は決めていないので交渉を中断せざるをえないから、被告側および傍聴学生らに対し、医師から診断の結果の発表をさせ、あわせて熊大側で交渉を中断する理由を説明するよう予定していた。

(6) 森田理事長は休憩の間医師団の一員から忽那学長臨時代理の診察の結果を伝えられたが、それによると健康状態が悪化しており、今後交渉に出席することはできないというものであつたが、確認書を読んで署名する程度ならば差し支えないのではないかといわれた。そこで、被告側は森田理事長ほか数名の理事が忽那学長臨時代理が休養している学生会館一階の宿直室へ赴き、熊大の職員に対し、確認書に忽那臨時代理の署名捺印をもらいにきた旨告げたところ、二階の大学側控室の評議員のところへ持参するようにいわれたので、同控室に赴き、熊大側交渉委員の一人である三特委委員(学生部委員)松山公一に確認書を持参した旨を告げて前記確認書を差し出した(もつとも、確認書を同人に手渡したり、内容を見せたりはしていない。)ところ、同人は「壇上で」というので、前記理事らは忽那学長臨時代理が出席できなくても小貫三特委委員長がいるので、会場で右確認書につき熊大側の意思表明があると理解し、会場へ引き返した。

同日午後一一時ころ、会場に熊大・被告双方の交渉委員が着席したところで、松山委員から医師団の発表を行ないたい旨の申し入れがあり、医師団から忽那学長臨時代理の診察の結果と今後の交渉に出席できない旨の報告があつた。続いて、熊大側交渉委員である林評議員が「この様な交渉では生命の危険を感ずる。」旨発言(医師団の右報告および林評議員の右発言があつたことは当事者間に争いがない。)し、さらに松山委員が「医師団の発表のとおり、学長臨時代理は出席をすることはできなくなつたが、その代理を立てるということは考えない。熊大側の提示しうる最大限の具体案を提示し、これまでの熊大の行ないについては率直に反省し陳謝したが、被告側がそれ以上に追求してわれわれの誠意を認めないとするのは遺憾である。今後、穏やかな話し合いの窓口は閉さないが、このような形での話し合いには応じられない。」旨発言して、熊大側交渉委員は即刻退席するに至つた(右退席は当事者間に争いがない。)。右松山委員の声明のうち、「今後穏やかな話し合いの窓口は閉さないが、このような形での話し合いには応じられない。」との部分は、忽那学長臨時代理の指示ないし協議のもとに行なわれたものではなく、松山委員ほか前記控室にいた交渉委員が相談のうえ決められたものであつた。これに対し、傍聴していた学生らは、公開交渉が突如打ち切られたことに憤り、熊大側の「一方的退席」として会場は騒然となり、急遽その場で抗議集会を開き、今後の方針を討論し、一方、熊大も翌二九日午前〇時四五分ころ前記松山発言と同趣旨の評議会声明を発表した。

以上の事実を認めることができる。右事実によれば、被告側においても第三回交渉前から熊大側の提案を含んだ内容の案で妥結する意思があつたことは認められるが、いまだ熊大と被告との間に確定的に確認がなされ、合意が成立したと認めることはできない。

被告は水光費国庫負担に関する基本的姿勢あるいは考え方は別として、第三回交渉冒頭における熊大側の提案は、第三回交渉において熊大と被告の双方で確認された旨主張し、<証拠判断省略>。

また、被告は前記熊大側提案の一2)、3)の趣旨につき、昭和四四年四月一日以降、形式的には、被告が水光費(電気の基本料は除く。)を負担し、熊大が右水光費に見合う被告の什器備品費を負担し、しかも、両者は同時履行の関係にあると主張し、<証拠判断省略>。

(四) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  第三回交渉終了直前における熊大側の退席を「一方的退席」と憤つた学生らは、昭和四四年一月二九日午後から抗議集会を行ない、これには約一〇〇〇人の学生らが参加し、被告の学生理事らから前夜の経過報告がなされた。そこでは「試験を気にせず、ストを目標に全学の力を結集しよう。」、「まず、各部で話し合い、その積み重ねで大学当局を追求しよう。」等という意見が大勢を占めた。その後も学生らはクラス討論等を行ない、蔵管第一号などをめぐつて採つた熊大の見解を自主性の欠如と考え、また前記退席に不信感を抱き、一貫性のない熊大の姿勢を明らかにするとともに、学内で行なわれている、いわゆる自治規制の撤廃を求めるため、公開交渉の再開を要求して、同年二月一日教養部が、同月二日法文学部が、さらには同月二二日工学部がストライキに突入し、その他ストライキを構える態勢の学部が二つを数えた。あるいは、またその間に教官有志らから「公開交渉再開の申し入れに無条件に応じよ。」とする要望書が評議会に出されたり、全学教官会議が要求されたが、他方、同月一七日には工学部教官らから工学部学生に対し、「ストライキは慎重に」との声明書も出された(にも拘らず同月二二日工学部がストライキに入つたのは前記のとおりである。)。

そのような学内の動きの中で、被告は公開学長交渉こそが熊大と被告との間の問題を解決する最良の方法だとの考えから、熊大に対し、第三回交渉の翌日である同年一月二九日、同月三一日および二月一〇日の三回に亘り、今まで熊大が認めてきた公開学長交渉をまず無条件で再開して欲しい。その上で、第三回交渉における熊大側の一方的退席の責任、第一回から第三回交渉で合意に達した事項の取り扱い等の諸問題を話し合いたい旨申し入れた。

これに対し、熊大は同年一月二九日、同月三〇日および同年二月六日の各公示をもつて、教職員・学生に対し、第三回交渉で熊大側が提示した案、当日は交渉を続行しても妥結する見込みがなかつたばかりでなく、三回の交渉を通じ柳本学長、忽那学長臨時代理ら熊大側交渉委員が健康を害したことから交渉を中断したことおよび公開学長交渉には応じられないが、穏やかな話し合いは拒否しないこと等を明らかにした。また、被告に対しても、同月二日、八日、一二日および一四日と前後四回に亘り、理工地区厚生センターの改修工事の今年度内施行および第三回交渉冒頭における熊大側の提案を第一段階の確認事項としたい。これまでのような形式の交渉には応じられないが、交渉は熊大の推せんする者・被告の推せんする者・第三者各一名の計三名の議長団の司会による、交渉主体は学長指名の態大側交渉委員と被告理事会とする、オブザーバーの同席は認めず、会議の内容はマイクで外部に放送する、一回の交渉時間は四時間とする等の形での公開交渉には応じられる旨の申し入れを行なつた。

(2)  以上のような経過の末、同年二月一四日被告は教養部ストライキ実行委員会、法文部ストライキ実行委員会および工学部連絡会議特別委員会(以下、四団体という。)と共同で熊大に対し、公開学長交渉を申し入れることを決定し、同月二二日右四団体は熊大に対し交渉を申し入れた。ここにおいて被告の森田理事長はじめ教官理事は、問題が、大学の姿勢および学内全体の自治規制の撤廃という熊大全体の問題に発展してしまつたことおよび熊大と被告との問題解決に尽力したにもかかわらずこのような結果になつたことについて、熊大と被告双方に責任をとること等を理由に理事を辞任し、その後の交渉に出席しなかつた。

かくして、昭和四四年度からの定食値上げ阻止をめぐつて、態大と被告との間に三回に亘つて交渉が行なわれてきたが、前記第三回交渉における熊大側の退席を境にして、熊大と被告の問題から熊大と学生の問題ないし熊大全体の理念の問題へと転換し拡大していつた。

(3)  なお、熊大は昭和四四年二月七日ころ、文部省大臣官房会計課長に宛て国立大学の生協に対し、蔵管第一号第一〇項(水光費等の徴収に関する規定)を適用しないような取り計いを求める要望書を出した。

また、<証拠>によれば、熊大と同様に水光費全額国庫負担要求運動がおこり、同年七月から生協が水光費の不払いを始めた国立九州大学においても、同年九月二二日、学長事務取扱から文部大臣に宛て「学内消費生活協同組合は教職員および学生を組合員とし、収益を目的とせず、教職員・学生の厚生福利を目的とする団体であるから、教職員・学生の生活の安定と福祉の増進をはかり、研究・教育のための環境条件の改善に資する見地から、水光費等の徴収をしない取り扱いができるように蔵管第一号を改正することを要望する。」旨の文書が出されたことが認められる。

(五) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  熊大は、昭和四四年三月三日からの入学試験を控えてストライキ等の異常事態を収拾する必要上、前記四団体からの交渉申し入れに応ずることにし、同年二月二五日、二六日の両日に亘つて予備折衝を行ない、双方の代表の間でつぎのことを決めた。遅くとも入試前までに諸問題を解決する。日時は同月二七日午後一時から同六時までとし、延長は双方の合意で行なう。場所は中央講堂とする。医師団を待機させる。代表以外は発言しない。質問者および答弁者は双方の代表が決める。議事を混乱させるような野次や行動は差し控えさせるよう努力する。学長事務取扱が医師から出席を止められた場合は代理をたてて続行するよう責任をもつて努力する。熊大側は原則として評議会が交渉にあたる。確認書の作成にあたつては、一つ一つ確認し、最後に一括した形で確認書を取り交わす。

(2)  第四回公開学長交渉(以下、第四回交渉という。)は、同日午後一時から中央講堂において、熊大側は学長事務取扱荒木雄喜を含む評議会のメンバー(ほかに、学生部委員松山公一)約二〇名が、四団体側はその各代表が出席し、約一五〇〇人の教職員・学生が傍聴する中で行なわれた。議題は、第一に第三回交渉における熊大側交渉委員の退席の問題が取り上げられ、四団体側は熊大側に対し、一方的退席であることを認め、謝罪することおよび昭和四四年一月二九日付公示中主に「今回(第三回交渉)のような形での公開交渉の続行は困難であるので応じられない。」とある部分の白紙撤回を迫つた。これに対し、熊大側は当初退席の当時の事情から交渉の打ち切りはやむをえなかつたと弁明し、なかなか結論がえられなかつたが、時間が過ぎていく中で入試を間近に控えていることから、夕方に至り荒木学長事務取扱が他の評議員らの意見を押し切つて一方的退席であると認め、謝罪する(一方的退席と認め、謝罪したことは当事者間に争いがない。)とともに、前記公示を撤回する旨表明した。ついで、水光費国庫負担に対する基本的姿勢つまり蔵管第一号および受益者負担の原則が議題となり、四団体側でそれを大学生協に適用するか否かにつき文部省の方針に盲従することなく、熊大独自の立場で判断せよと主張したが、熊大側は従来の主張を繰り返し、双方の主張は平行線のままであつた。最後に、学内における学生の自治規制に絡み学部共通細則第四章の廃棄の問題が激しく討論されたが、これについても結論をえるに至らなかつた。

そして、第四回交渉は四団体側代表が傍聴している学生らを統制はしていたものの、前三回の交渉よりも興奪して野次、罵声等を飛ばす学生らが多く、会場内は喧騒にわたり、荒木学長事務取扱が同日午後八時ころ医師団の診断の結果退席した後は、評議員野口彰が学長事務取扱臨時代理として熊大側を代表して交渉が続行されたが、同日午後一〇時ころの休憩時の診断の際、さらに相当数の評議員らの血圧、脈搏等に異常が認められるに至つたため第四回交渉は終了した。

(3)  第五回公開学長交渉(以下、第五回交渉という。)は、同年三月一日午後一時から前回と同じ中央講堂において、熊大側は前回交渉の結果健康を害した荒木学長事務取扱および評議員らを除き、野口学長事務取扱臨時代理を代表とする評議員ら約一四名が、四団体側は前回と同じ代表が各出席し、これまでの交渉で最多の約一五〇〇人以上の教職員・学生らが傍聴している中で行なわれた。冒頭、交渉の議題は水光費の全額国庫負担、自治規制の撤廃および今後の被告と熊大の交渉形態の三つとすること、同日中に問題を解決することが双方で確認され、第一の議題に入つた。

被告の水光費を国庫(大学)が負担しうるのかどうか、すなわち蔵管第一号および受益者負担原則の被告への適用については、双方の主張は前回交渉と変らず平行線をたどり話し合いが進展しないまま推移したが、同日午後四時ころに至り、野口学長事務取扱臨時代理および次順位の学長事務臨時代理として予定されていた評議員高野巽ら五人の評議員が医師の診断の結果交渉への出席が不可能となつた。そのような事態から、以後は評議員金子正信が事実上熊大側を代表する形になり、同人は四団体側の主張に十分耳を傾けるという態度で臨み、双方の議論が進むうち、後記確認書のうち前四項のような四団体側の主張にも理解を示し、真夜中近くには、水光費国庫(大学)負担に応ずるには熊大予算の上からも限界があると答弁したため、四団体側は熊大の経理の公開を要求するに至り、それに対し、熊大側は公開するかしないかで意見が分れ、混乱した。その後、医師団の診断が行なわれて退席する者が続出し、同月二日午前三時ころには熊大側交渉委員は金子評議員と松山公一学生部委員を残すのみとなつたが、四団体側はつぎのような確認書を作成し、金子評議員の署名捺印を求めた。

「一 受益者負担の原則は大学としては正しくないと考える。

一 大学は一一・二九回答にある「政府・文部省の指示その他には従うほかない」ということは撤回し、独自に判断する。

一 蔵管第一号および昭和三六年六月の会計部課長会議の確認は指示にあたる。

一 生協に蔵管第一号を適用することは正しくない。

一 水光費の全額国庫負担できない理由は大学の予算の能力の限界があることのみである。

一 次回の交渉は昭和四四年三月四日午後一時より中央講堂において再開する。」

これに対し、金子評議員は次回交渉期日の項は入学試験の関係で無理であると難色を示したものの、その余の項は四団体側の主張を聞くという形で進めてきた交渉の内容をまとめたものであることおよび四団体側の代表も仮の確認書と洩らしていたこと等から、右確認書を四団体側の主張として評議会に伝え、それにつき評議会が審議するように努力するという趣旨で署名押印することを四団体側に告げたうえで署名捺印(金子評議員が前記確認書のうちの一項、四項および五項等の内容を含む右確認書に署名捺印したことは、当事者間に争いがない。)し、第五回交渉は同日午前四時ころ終了した。

入学試験が切迫していたことから、第四回交渉から中二日置いて開かれた第五回交渉は、従前の交渉のうちで交渉時間が最も長かつたばかりでなく、傍聴する学生らも最も多く集まり、野次、罵声、怒号等も激しく、何回かの休憩にもかかわらず、熊大側交渉委員は身体的、精神的に異常を来たし、医師団の診察の結果退席する者が続出するに至つた。

以上の事実を認めることができる。

<証拠判断省略>

被告は熊大は右確認書を履行すべき義務があると主張するが、前記認定の同確認書の成立の経緯および作成の趣旨に徴しても、その主張がとりえないことは明らかである。

(六) <証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  四団体代表と学生らは、第五回交渉における確認書に従い、昭和四四年三月四日午後一時、中央講堂に参集したが、熊大側は右確認書に署名捺印した金子評議員のみが出席し、荒木学長事務取扱をはじめ評議員の大多数が健康を害しているので、事実上交渉を持つことはできないから延期したい旨告げ、結局同日の交渉は行なわれなかつた。そして、同月三日からの入学試験が正常に行なわれて終了した同月一一日四団体側は大学に対し、同月一三日午後一時から中央講堂において公開学長交渉を再開することを要求したが、熊大側は同月一三日四団体側に対し、現在もなお多数の評議員が健康を回復していないこと、第四、第五回交渉において、四団体側が予備折衝で確約した交渉のルールを途中から一方的に無視したこと、交渉に立ち合つた医師団もこのような公開交渉が繰り返されるならば、致命的な事故が発生する危険性が大きいという警告を発していること等の理由から、四団体側が今後の話し合いの進め方について、熊大側の首肯しうる見解を示さない限り熊大はこのような公開交渉の続行は断念せざるをえない旨の声明文を出した。

この大学声明文をみた学生らは、「大学の開き直りだ」と反発し、熊大のあり方を問うとしてそれまでストライキをしてきた学部のほかに、同月一五日には薬学部が、翌一六日には教育学部がそれぞれストライキに入り、さらには同月二七日学生らは全学生を交渉主体とするいわゆる大衆団交を熊大に申し入れ、第三回交渉における熊大側の退席を契機にして起こつた全学的な紛争は一段と激化していつた。その間、学生らは各学部ごとに教授と大衆団交を持ち各学部長あるいは教官有志から熊大に対し、「学生らの要求は大学の姿勢がいかにあるべきかにある。事態を一刻も早く解決するため大衆団交少なくとも公開交渉に応じよ。教職員・学生に対する一方的な公示は学生らの不信感を募らせ戦術を拡大させるだけである。」等とする要望・意見が相次いで提出された。

そのような学内の動きの中で、熊大は評議会において右申し入れに応ずべきか否か意見が分れることはあつたものの、結局代表者による交渉の積み重ね方式により熊大の改革を図りたいと主張して、大衆団交あるいは従前の公開交渉を拒否するとともに教職員・学生に対し、一連の公示をなすことによつて、熊大の意思を表明し、熊大と学生らとの間で交渉がもたれることはなくなつた。そして、それに伴つて学生らの行動は過激化、先鋭化してゆき、熊大が一応の正常化をみるには同年八月を待たねばならなかつた。

(2)  その間、熊大は昭和四四年三月末に三特委を廃止し、被告に関する問題は、評議会第三部会が担当することになつた。被告側も、前記一連の紛争の中で教官が相次いで理事を辞任していつたが、教官を除く被告理事らは、被告の発展のためには理事に教官が加わつていることが望ましいと考え努力したけれども、昭和四四年度の理事の選出時期に教官の中に理事候補者がいなかつたことから、学生理事が中心となつて被告を運営してきた。そして前記のとおり昭和四四年度も態大から第一目録の被告使用部分(但し、第一目録の7の建物は除く。)の使用許可が更新されたし、従前どおり第三目録の動産の使用も認められてきたばかりでなく、新たに右7の建物を昭和四四年五月一〇日から昭和四五年三月三一日まで、被告の事業所として使用することが許可された。そして、水光費については、被告は昭和四三年一一月から昭和四四年三月までの分は支払う意思を持ちその用意はしてあるものの、交渉が最終的には妥結していないとの考えから、また、同年四月からの分は第三回交渉で少なくとも実質的には被告に水光費を負担させないという熊大の提案が確認されたとの考えから、熊大から請求を受けたにも拘らず熊大に対し、昭和四三年一一月分以降の水光費を支払わなかつた(熊大から請求を受けたにも拘らず、被告自身が右水光費を支払わなかつたことは当事者間に争いがない。)。そのため、熊大は、電力会社あるいは水道事業管理者との間に態大で使用する電気あるいは水道の供給契約を締結しその支払義務を負つている関係上、昭和四三年一一月分から昭和四五年五月分まで、被告が熊大に対し支払うべき毎月の水光費(熊大は、昭和四四年四月分から電気の基本料金を免除している。)相当額を学生部長からその私金を提供してもらい、熊大自身が支払うべき額は国庫から支出し、あわせて電力会社に支払つてきた。

(3)  また、熊大全体が一応正常化した後である昭和四四年九月一八日および一一月二六日の二回に亘り、被告は熊大に対し、理工地区厚生センターの開設に関する約束の履行について昭和四四年度以降の水光費の国庫負担について昭和四三年一一月から昭和四四年三月までの水光費の支払保留分の取り扱いについて大学と被告の関係について、という議題で公開交渉の申し入れを行なつたが、熊大からは何ら回答がなく、話し合いあるいは交渉がもたれることがなかつた。

5 <証拠>によれば、昭和四四年一二月一八日ころ、熊大は被告に対し、被告の設立に伴つて確認された前記確認事項・了解事項については、その改訂について協議する用意はあるが、現状では右確認事項・了解事項を尊重すべきであるとして、昭和四三年一一月分以降の水光費の支払理事の構成員に各学部教官一名宛を加える努力決算書および事業の報告書の提出等について即刻履行するよう求めたことが認められる。そして、昭和四五年一月三一日被告から熊大に対し、第一目録の被告使用部分の昭和四五年度使用許可の更新願が提出されたが、熊大は被告に対し、同年二月九日付および同年三月一三日付の各警告書をもつて前記ないし等の完全履行方を催告し、これに応じないときは昭和四五年度の使用許可を与えない旨の通知を発したことは当事者間に争いがない。<証拠>によれば、右警告に対し、被告は同月二四日ころ熊大に対し、被告が熊大に昭和四四年九月一八日および同年一一月二六日の二回に亘り前記一の4の(六)の(3)のとおり公開交渉の申し入れを行なつたところ、熊大は何ら回答することなく交渉を拒否してきたが、そのような事実経過を抜きにして前記のような警告をなすことは納得できない等と回答したことが認められる。

そして、熊大は被告に対し、昭和四五年三月二六日ころ第一目録の被告使用部分の使用を許可しない(明渡を請求する)旨の意思表示をし、同月三一日ころ第三目録の動産の使用を認めない(返還を請求する)旨の意思表示をなしたことは前記一の1のとおりである。

二第一目録の被告使用部分および第三目録の動産の各使用の法律関係

1 まず、第一目録の被告使用部分の使用の法律関係について検討する。前記認定によると、第一目録の被告使用部分は国立熊本大学の施設の一部であつて、国有行政財産に属し、被告がその使用権原を取得したのは、当該行政財産本来の用途または目的を妨げないとして国有財産法第一八条第三項に基づくものであるが、それは私法上の契約によるものではなく、行政財産の使用許可処分によるものであり、その具体的内容は当該許可処分の附款により定められると解すべきである。

ところで、前記認定のとおり、第一目録の被告使用部分の当初の使用許可期間は、第一目録の①ないし⑤の部分については一〇か月、同⑥の部分については四か月および同7の建物については約一一か月と定められ、以来使用許可が繰り返されて(但し、右7の建物の使用許可は一回限りであつたのでこれを除く。)、右①の部分については三か月ごとに、その余の部分については一年ごとに更新がなされたのであるが、被告の前身である厚生組合およびその権利義務一切を承継した被告は、ともに熊大の教職員および学生を組合員とし、教職員・学生が役員となり、営利ではなく教職員・学生の生活の安定と福祉の増進を図ることを目的として、熊大の施設を使用して教職員・学生に対し、書籍・学用品・日用品等を販売したり、飲食を提供する等の事業を営むものであること、厚生組合は昭和二五年以来被告が設立される昭和四二年まで一七年間右事業を行なうため、熊大の施設を継続的に使用し、被告設立当時には第一目録の①ないし⑤の部分等を厨房、売店等として使用していたことおよび被告設立後使用許可のあつた第一目録の被告使用部分の当初からの使用目的は国有財産使用許可書によれば、第一目録の①ないし⑥の部分については熊大の職員・学生のための福利厚生施設、同7の建物については被告の事業所とされ、具体的には、厚生組合と同じくそこで前記事業を行なうための厨房、売店、喫茶室等の厚生施設として使用することが予定されていたことに徴すると、被告に対する本件使用許可は熊大が主として営利を目的とする一般業者に対し、使用許可をするような場合とは異なり、使用許可を与えた熊大においては、被告が、熊大の教職員・学生を主体とし、熊大内の物的設備を利用して、教職員・学生の福利厚生のため永続的に活動することを当然の前提としていたと考えられるから、第一目録の被告使用部分の当初の使用許可は、許可期間の定めがあり、その後更新という形式がとられてきたとしても、その定める各期間の満了によりその使用権が当然に消滅する趣旨でなされたものではなく、期間を定めずになされたものと解するのが相当である(そこにおいて定められた期間は、むしろ許可条件<講学上の行政処分の附款>の存続期間の性質を有し、その期間の満了の際、その条件の改定を考慮する趣旨のものと解するのが本件の場合は相当である。)。

してみると、被告のなした第一目録の被告使用部分の昭和四五年度使用許可更新願いに対し、熊大が昭和四五年三月二六日ころ被告に到達した書面でなした昭和四五年四月一日以降使用を許可しない(明渡を求める)旨の意思表示は、所定の期間満了に際し、新たに使用許可をしない(更新拒絶)という形式をとつているが、その法律上の性質は、その実質に着目し、使用許可の取消(講学上の撤回)と解すべきである。この判断と異なる原告の主張には左袒し難い。

2 ついで、第三目録の動産の使用の法律関係について検討する。第三目録の動産は物品管理法第二条に規定する物品であるが、これらの物品は前記認定のとおり熊大が第一目録の①の部分および②の部分のうち各厨房に自ら購入のうえ備え付けた調理用備品であり、しかも、破損、不足を生じた場合は熊大で購入し補充してきたものであるうえ、それらについて学内あるいは会計検査院の検査があるときは、物品供用官(物品管理官から物品の供用に関する事務の委任をうけた職員)が責任者として立会つて検査を受けてきたものであつたこと、そして、第三目録の動産の大部分は被告の前身である厚生組合が熊大から供用をうけてきたもので、被告が設立とともに厚生組合の資産、権利、義務一切とともに承継して引き続き使用することになつたものであること、熊大も厚生組合と同様に無償で使用させるという意図から物品供用官が被告に対し、使用させるという形式をとつたことおよび被告が法形式上および対外的には独立の法人であるが、その設立の経緯、事業目的、役員、組合員の構成、事業内容等に鑑みれば、熊大の内部関係においては厚生組合と同様、学内団体としての色彩を濃厚に帯有してきたものであること等に徴すれば、第三目録の動産の使用は物品管理法第一五条に基づく行政処分たる「供用」によるものであつて、同法第二九条の「貸付」によるものではないと解すべきである。熊大が被告に対し、第三目録の動産を使用させる際の文書である前掲甲第三号証および第五号証の各一、二によれば、「貸付」、「転貸」、「借受」なる文書が用いられていることが認められるが、これらの文書の文言が右使用の法律関係を正確に表示したものとまでは認め難く、いまだ前記判断を覆すに足りない。したがつて、この判断と異なる被告の主張は採用できない。

してみると、前記認定のとおり第三目録の動産は使用期間が定まつていないのであるから、熊大が被告に対し昭和四五年三月三一日ころ到達した書面でなした同年四月一日以降使用を認めない(返還を求める)旨の意思表示は行政処分たる性質を有する供用の撤回と解すべきである。

三本件使用許可の撤回(明渡請求)および供用の撤回(引渡請求)の効力

1 原告は本件使用許可の撤回の理由として、被告が昭和四三年一一月分以降水光費を支払わないという使用許可条件および確認事項・了解事項の違反並びに被告の理事に教官を加える努力をしないとともに、決算書、事業の報告書を提出しないという確認事項・了解事項違反を挙げているので、以下、本件使用許可の撤回当時被告にそのような違反事実があつたかどうかについて検討する。

(一) 水光費については、被告が昭和四三年一一月分から熊大が本件使用許可の撤回をした昭和四五年三月二六日まで毎月の水光費を熊大が指示する期日までに支払つておらず、(右滞納額は後記のとおり一〇〇万円弱である。)、そのため熊大は毎月学生部長から右水光費相当額の金員の提供を受けて電力会社等へ支払つてきたことは、前記のとおりである。

(1)  ところで、被告は第三回交渉における水光費に関する熊大の提案につき、第三回交渉において合意ができたことあるいは交叉申込によつて契約が成立したことあるいは熊大が一連の公示をしたことによつて、熊大は右提案に基づく債務を履行すべき義務が生じ、しかも右義務と被告の熊大に対する水光費支払義務とは同時履行の関係に立つというべきところ、熊大はその義務を履行しないのであるから、被告が水光費を支払う義務を履行していないことにならず、原告主張の違反はない旨主張する。

しかしなが、前記のとおり第三回交渉における水光費に関する部分の提案の趣旨は被告において従来どおり熊大に対し、毎月の従量電力料および水道料を支払い、熊大は右水光費の額の範囲内で被告の要請に従い什器を購入し与えるというのである。そして、その後における右提案等を第一段階の確認事項としたいという昭和四四年二月二日の熊大の申し入れ(前掲甲第四四号証の三)並びに教職員・学生あるいは父兄に対する同年一月二九日付(前掲乙第一三号証)、同月三〇日付(前掲乙第一七号証)、同年五月六日付(前掲乙第一〇号証)および同月二四日付(前掲乙第一一号証)の各公示も右第三回交渉における提案の趣旨を出ていないものである。

そうだとすれば、仮に熊大が第三回交渉における提案に基づく義務を被告に対し負つたとしても、右提案の趣旨からみて被告の水光費支払義務と同時履行の関係に立つ義務は何ら負つておらず、むしろ、被告の水光費支払が先行し、熊大の什器等の購入付与義務は、被告の右負担を軽減するものとして後になされるべき関係にあるものとして提案されたと解するのが合理的であり、したがつて、熊大が右義務を履行していないことを前提とする被告の主張は、被告の水光費の支払がない本件においてはいずれも理由がない。

(2)  また、被告は学生部長の熊大に対する前記金員の交付を学生部長が被告に代つて被告の債務を弁済したものであるから、被告の熊大に対する債務は消滅しており、前記各違反はない旨主張する。なるほど、学生部長が私金をもつて熊大に提供した金員は、被告の熊大に対する水光費支払債務に相当する数額であること前記のとおりであるが、学生部長が右金員を熊大に提供したのは、被告が水光費を熊大に支払わないため、熊大が電力会社等に対して負う代金支払債務を履行することができないため、熊大の債務のうち被告負担部分相当額について熊大の債務を消滅せしめる意図のもとになされたにすぎず、学生部長が被告のために熊大に対する水光費支払債務を消滅させる意思でなされたものでないことが前記認定によつて明らかであるから、被告の第三者弁済の主張は採用の限りでない。

してみると、本件使用許可撤回当時、被告は熊大に対し、昭和四三年一一月一日以降の水光費を支払つておらず、しかも右未払に関する被告の主張が正当でない以上、被告には使用許可条件および了解事項に違反する事実があつたというべきである。

(二) 決算書および事業報告書の提出については、前記一の5のとおり熊大が決算書・事業報告書を提出しない被告に対し、昭和四四年一二月一八日から三回に亘りそれの提出を求めたにもかかわらず、被告は昭和四五年三月二六日に至るもこれを提出しなかつたのであるから、了解事項に違反する事実があることが認められる。

つぎに、理事の構成については、前記一の4の(四)の(2)、(六)の(2)および5のとおり、昭和四五年三月二六日当時被告の理事の中に教官は含まれていなかつたが、これは教官理事らは第三回交渉における熊大側交渉委員の退席に伴う事態の悪化すなわち学生のストライキ突入等の熊大の混乱、紛争の激化の中で、自ら責任を感じて辞任していき、昭和四四年度の理事の選出期に教官を除く被告理事らが希望し努力したにもかかわらず、教官から理事候補者が出なかつたためであつて、昭和四五年三月二六日までの間被告側が理事に各学部教官一名宛を加える努力をしなかつたとは認められないから、了解事項違反の事実は認め難い。

(三) 被告は、確認事項および了解事項は紳士協定にすぎず、法的抱束力はないから、右に違反しても本件使用許可の撤回はできない旨主張する。しかしながら、水光費支払部分については、前記のとおり、確認事項・了解事項に止まらず、使用許可条件とされているので、法律的、規範的効力を有することが明らかであるから、被告の主張は採用の限りでない。そして、水光費を除くその余の定めについては、前記一の2の(二)のとおり、確認事項・了解事項は被告の設立発起人会が被告を設立するにあたつて、熊大に対し、被告設立後の協力、被告設立後も熊大の施設を貸与することおよび県知事に提出するその旨の副申書の作成を求めたのに対し、熊大側が右要望に応ずる前提として、熊大の秩序の維持、国有財産の管理という観点から、右発起人会に求め、右両事項が文書をもつて確認されたことから、熊大側が右要望に応ずるに至つたという経緯および右確認事項・了解事項の内容に鑑みると、右両事項は熊大と被告との相互協調的基本関係およびこれに関連する具体的事項を規定したものというべきである。そうだとすれば、水光費を除くその余の確認事項・了解事項が使用許可条件とされておらず、しかもそれらが仮に法律的強制に親しまないことから、それ自体として法律的拘束力を認めえないとしても、それらの事項に違反することは熊大と被告の相互協調の基本関係を崩すものとして、その違反の程度が信義誠実の原則に照らして著るしく重大であれば、使用許可撤回の事由となると解すべきであり、したがつて、確認事項・了解事項の違反は、本件使用許可撤回の効力を判断するに際し、斟酌すべき事情と解するのが相当である。

2 進んで、被告の前記認定の違反が本件使用許可撤回の事由として正当といえるかどうかについて判断する。

(一) 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授・研究し、知的、道徳的および応用的能力を展開させることを目的として設置されているものであるから、学問・研究・教育を本来の使命とするものである。したがつて、大学が法律上の義務として教職員および学生の福利厚生を図るべき責務があるといえないことはいうまでもないが、大学の右使命をよりよく達成するために、大学が学問・研究・教育のための施設・設備を整え充実するだけでなく、可能な限り、大学に生き大学に学ぶ教職員・学生の生活の安定と福祉の増進を図り、もつて学問・研究・教育のための環境条件を整備し改善することは、大学当局はもとより国民全体の課題といえよう。

ところで、被告の前身である厚生組合および被告は、昭和二五年以来熊大の教職員および学生を組合員とし、教職員・学生が役員となり、熊大の施設・設備を使用して教職員・学生を対象に収益を目的とせず、市価より低廉な物品を供用することを指向して、教職員・学生のための食堂、喫茶、書籍・学用品・日用品等の販売等の事業を行なつてきたが、その間熊大に対しても、被告の右厚生事業に対する各種・各様の協力・援助を要請してその発展の基盤を整え、事業規模は年毎に拡大した。昭和四三年ころには、五か所の食堂・喫茶室、七か所の売店等の事業所を持ち、食堂を例にとると、一日約三〇〇〇食、年間約一〇〇万食を提供するようになる等被告が教職員・学生の生活の安定および福祉の増進の面で果たしてきた役割は相当大きなものがあつた。

一方、熊大当局は学問・研究・教育を大学の第一義と考えながらも、可能な限り教職員・学生の福利厚生を図ることの必要性を認識し、厚生組合および被告の特質並びにそれらが現実に右福利厚生に寄与してきた過去の実績に鑑み、厚生組合および被告の協力・援助の要請には原則として応ずる方向で処理し、厚生組合および被告に対し、無償で熊大の施設および厨房における調理用備品を使用させるとともに、それらを年々充実し、あるいは学生部および評議会第三部会のほかに生協小委員会および三特委を設置し、被告の要望に迅速に対応しうる機構を整える等相応の協力・援助を行なつてきた。

以上、要するに、熊大と被告とは昭和「一五年以来、少なくとも水光費の負担等をめぐる要求運動が学長公開交渉の進展に伴つて尖鋭化するまでは、総じて、被告、熊大ともに、相協力し平穏な話し合いを通じて一体となつて教職員・学生の福利厚生のために活動してきたと評価することができる。

(二) さて、昭和四三年秋以降、被告の運営する食堂の定食価格の値上げ阻止を理由として提起された理工地区厚生センターの開設、什器備品の全額国庫(熊大)負担、水光費の全額国庫(熊大)負担の各要求は、第一の要求はともかく、第二、第三の要求は熊大の教職員・学生の食事に要する水光費等を一部負担せよというものであるから、これらを性急に要求することは、今日から振り返つてみると、多大の疑問を感ぜざるをえないのであるが、当時、九州地方において水光費全額国庫負担の要求を掲げて大学と交渉していた国立大学は熊大のほか二、三あり、そのうち、宮崎大学では現に水光費に関する大学負担が行なわれていたことに徴すれば、当時における被告の要求を一概に不当無謀なものであつたということできない。

また、右要求についての話し合い(水光費負担に関する使用許可条件の改定の話し合い)の方式として公開学長交渉が妥当なものであつたかは、なるほど後になつて回願してみれば、これも疑問はあるが、当時は全国的に大学紛争が激化している中であるにもかかわらず、被告が掲げた要求内容、それを要求するに至つた経緯、第三回交渉までの比較的統制のとれた交渉の経過および被告が教官理事である森田理事長を中心にして、柳本学長、忽那学長臨時代理と穏密裡に交渉するなどできるだけ現実的な解決策で早く交渉を終息させる努力をしていたこと等前記認定の経過に徴すれば、少なくとも第三回交渉までの公開交渉について、被告側に信義に反する行為があつたとして多大の責任を追求する訳にはいかないと考えられる。

(三) むしろ、前記認定の事実関係からみれば、被告側は水光費全額国庫負担、什器備品の全額国庫負担が望ましいとは考えながらも、現実的解決策としては第三回交渉における熊大の提案で妥結する意向を固め、そのように努力してきたにも拘らず、忽那学長臨時代理が医師団の診察を受けるため一時休憩し、その後医師団から交渉への出席を止められたところ、松山委員をはじめ控室に待機していた交渉委員が相談のうえ、柳本学長はもとより忽那学長臨時代理の指示もうけないのに、今後公開交渉方式による交渉は行なわない旨宣言して退席したことが、その後の学内の混乱に大きな影響を与えたことは否定できない。なるほど、柳本学長が倒れ、忽那学長臨時代理も健康を害して医師から交渉への出席を止められる程、いわゆる公開交渉方式は熊大側にとつて労苦に満ちたものであつたことから、松山委員が前記のように公開交渉をやめる旨発言したことも心情的に理解できないではないが、学長公開交渉は、熊大、被告双方が納得のうえ発足したものであり、しかもその交渉は学長およびその臨時代理と被告側森田理事長を中心として進行してきたものであるから、熊大側の代表者の健康状態の悪化により中断する状態が生じた場合においては、両者において十分協議のうえ、その交渉方式を検討のうえ、適切な方法を選択する努力をまずなすべきが至当であつたと考えられる。しかるに、松山委員らが公開交渉方式を一方的に破棄して退席したため、これを境にして、被告側教官理事が辞任せざるを得なくなり、しかも被告対熊大の問題が学生対熊大の問題へと転換して全学的な紛争になる一方、第四、第五回の交渉はいわゆる大衆団交という様相を呈して、実りのない、収拾し難い状況となり、第三回交渉における熊大の提案は、交渉の全面的中断のため、被告が水光費を支払わないという異常な状態のまま実施されず、その後、被告の定食値上げ阻止に端を発した諸問題は、双方の不信感をむき出しにした葛藤の中で遂に解決をみないで放置されることになつてしまつた。

右のような事態を招来した責任の軽重を云云することはできないが、少なくとも熊大側にも事態の対処の仕方に一貫性を欠き、責任ある事態収拾の能力に欠けるところがあつたことは、前記認定に照らして否定できないといわねばならない。

(四) かくして、被告は右紛争が何らの解決をみないまま終息に向い、熊大が平静に戻つた後である昭和四四年九月一八日および同年一一月二六日の二回に亘り、熊大に対し、理工地区厚生センターの整備、水光費国庫負担、支払を保留している水光費の取り扱い等に関し、公開交渉の申し入れを行なつたが、熊大は何ら回答せず、話し合いも持たれることがなかつた。他方、熊大は被告に対し、実質的には水光費を負担させないという態度を公示という形で宣言し、あるいはその他の方法により広報するとともに、全学紛争および水光費の不払が続く中で、昭和四四年度の熊大の施設の使用許可を更新したばかりでなく、昭和四四年五月一〇日には新たな施設の使用許可を与える等被告の福利厚生事業に協力する姿勢を崩さなかつた。

ところが、熊大は大学内が平静化した後に行なつた被告の前記公開交渉の申し入れを無視したうえ、同年一二月以降、水光費の支払、決算書・事業の報告書の提出および理事に教官を加える努力をしない場合は、使用許可をしないと警告し、遂には、本件使用許可処分を取消したことは前記のとおりである。

右の経過に鑑みれば、被告側は公開交渉方式が首尾よく成果を収められる予想がないのに、相変らず、公開交渉方式を固執して申し入れを行ない、また、熊大は水光費不払の原因の一つが第三回交渉の決裂およびその後の交渉の不成功にあること、したがつて熊大が被告に水光費の支払を右の段階で一方的に求めても、被告がにわかに応じないであろうことを知りながら、使用許可条件違反を理由に不許可の強い方針を打ち出して警告し、剰え、決算書等の報告という、熊大において知ることが容易であり(右の事実は前掲乙第八号証並びに弁論の全趣旨によつて認められる。)、しかも改定のため協議する用意があると自ら表明しているほどで、その違反を重大視できない了解事項の実施を求め、また、前記のとおり、被告においては違反事由とならない教官理事加入問題の実行を迫るという挙に出たものであり、これを当時の他の大学の例に比較すると、その紛争の実情を異にするとはいえ、被告の態度も、生協という独立法人としての責任と自覚に欠けるところがみられるが、熊大も厚生組合当時から永年に亘る被告への協力援助の姿勢を一変させ、全く話し合い無用という態度に出て、被告を正常化させようとする努力に欠けるところが看取できることは誠に遺憾というほかない。ちなみに、当時国立九州大学でも、水光費国庫負担等の要求を掲げて昭和四四年七月から昭和四五年一二月まで水光費の不払を続けてきたが、大学側の新らしい体制の下で交渉がもたれた結果、相当減額して妥協点に達し、正常に水光費を支払うようになつたことが証人三島淑臣の証言によつて認められ、また、被告より先に水光費の不払を開始し、昭和四五年四月ころまで水光費の国庫支出が続けられた国立宮崎大学でも解決をみて水光費の支払が正常に行なわれるに至つたことは、原告の自認するところである。

3 以上諸般の事情を総合して考えれば、なるほど被告が熊大に対し、昭和四三年一一月分以降の水光費を支払わないことは、本件使用許可条件の違反にあたり、それが法律上正当視できないこと前記のとおり明らかであるから、許可を撤回しうる一応の理由とはなりうるが、右撤回時における未払水光費は一〇〇万円弱であつて、それほど多額とはいえない金額であり、しかもそのうちの約三分の一弱にあたる昭和四三年一一月分以降昭和四四年三月分までの水光費は被告においても支払う用意がある旨言明していたのであり、また、水光費の支払については、被告と熊大が真摯に協議し、その結果、熊大において第三回交渉では水光費国庫負担の方向で努力してゆくと表明するとともに、被告の要求する定食価格値上げ阻止のため実質的には被告に水光費を負担させないことになる案を提示してこれが実行を自ら表明していたものであるうえ、右水光費の未払が熊大側にも責められるべき点のある第三回交渉の決裂という事態と密接な関係をもつている点に鑑みれば、被告の水光費の支払がないことを主たる理由として本件使用許可を撤回して明渡を求めることは、先に摘示した他大学の事例に比べてみても、酷に過ぎた処分と評せざるをえない。

熊大において、もし被告の存立の基礎を奪う意図がなく、ひたすらその責任ある正常な発展を期待し、水光費をめぐる両者の紛争に正しい解決をもたらそうとする意思があるならば、両者の自主的交渉は暫く閉されるとしても、被告に対し、水光費支払請求訴訟をまず提起し、その過程で被告の支払義務を明らかにして履行を求め、自ら履行を宣言した被告への援助を行なうという方策を立てることも十分可能であつたと考えられる。

しかるに、熊大がそのような方策を超えて直ちに本件使用許可を撤回することは、水光費の未払、決算書・事業の報告書の不提出に関する前記のような歴史的経過を殊更に捨象して大学の管理面を重視し、被告と熊大の相互協調的結び付きおよび被告が熊大内の福利厚生に貢献してきた役割と実績を不当に軽視し、もつて熊大が昭和二五年以来保持してきた良識と道義に基づく協力援助の姿勢を卒然として放棄したと評しても過言ではなかろう。もとより、かような態度変容は、被告を含めた前記四団体の限度を超えた交渉の姿勢とその後も公開交渉方式を固執する被告の非協調的態度を離れて考えることはできないが、そのような事情を考慮に入れてもなお、本件使用許可の撤回は、社会通念に照らして、その行使の方法が著るしく妥当を欠くものというほかなく、権利濫用として違法、無効と断ずるのが相当であると考える(なお、右判断に当つては、使用許可撤回の被告の所為は、これを考慮すべきではないと考えられるので、斟酌しなかつたことを付言しておく。)。

4 そこで、つぎに第三目録の動産の供用の撤回(返還請求)の効力について検討する。

原告は物品管理法上の供用はいつでも撤回しうる旨主張するようであるが、前記のとおり、第三目録の動産は調理用備品であつて、第一目録の①の部分、②の部分あるいは⑥の部分の各厨房の用に供されたものであること、右動産の供用は右厨房の使用許可に付帯して行なわれたものであることおよび右動産の大多数は厚生組合のときから教職員・学生に提供する食事の調理のため継続的に使用され被告に引き継がれたものであることに徴すれば、前記のとおり、右各厨房の使用許可の存続が認められる場合において、調理用備品である第三目録の動産の供用の撤回(返還請求)を認め、厨房をしてその用をなさしめなくすることは、原告にとつてとくに利益があるとは認められない反面、被告の不利益は大きいものであることが顕著であるから、他に特段の事由の認められない本件供用の撤回(返還請求)は、社会通念に照らして著しく妥当を欠くものであり、権利の濫用として違法、無効というべきである。

四してみれば、被告は原告に対し、第一目録の被告使用部分の明渡義務並びに第三目録の動産の引渡義務がないこととなるから、被告の昭和四五年四月一五日以降の第一目録の被告使用部分および第三目録の動産の占有は依然として正当というべきであり、したがつて、右各義務の存在を前提とする右明渡および引渡請求並びに損害賠償およびこれに対する遅延損害金の各請求は、原告主張のその余の点について判断するまでもなく失当であるといわねばならない。

第二第二目録の①の部分および②の部分の明渡並びに損害金の各請求について

一請求原因六の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、被告の第二目録の①の部分および②の部分の各占有が正当なものであるかどうかについて検討する。

<証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

第二目録の建物(第一目録の2の建物、東光会館・通称学生会館)は熊大が管理する建物であつて、その各部分を使用する者は熊大に対し、使用許可申請をして使用許可をうる必要があり、被告においても、昭和四三年において、第二目録の建物のうちの集会室あるいはロビーにつき使用許可申請をなし、使用許可をうけた(後者については、展示会用として三日あるいは五日の期間)ことがある。

ところが、昭和四四年前記第一に判示した熊大紛争が起こり、それが激化し遂には昭和四五年一二月本訴が提起される中で、学生らは第二目録の建物の整備の要求をしたところ、熊大は被告が前記建物から退去した後、改装・補修するとの考えの下に、右紛争で破損された窓ガラス、戸、螢光管等の修復や室内の整備をしなかつた。

しかして、第二目録の①の部分は、ロビー兼通路として、同②の部分はソファ・テーブルを配置した談話室兼通路として、いずれも熊大管理の下に教職員および学生の利用に供されていたものであるが、昭和四四年以降の前記経過の中で、被告は第二目録の①の部分を熊大の使用許可を受けずに昭和四五年は二回位、昭和四六年、昭和四七年は各八回位、昭和四八年は一〇回位、いずれも各種展示会用に無断使用してきたが、昭和四八年一一月一四日に至り、第二目録の①の部分に置く被告の商品の盗難を防ぐためと称して、第二目録の建物の自力整備をしてはならない旨の熊大の警告を無視したうえで第二目録の①の部分の三方にシャッターを設置し(右警告を無視してシャッターを設置したことは当事者間に争いがない。)、常時使用するに至つた。また、第二目録の②の部分については、昭和四四年以降も従来どおり学生らが談話室兼通路として使用してきたが、ソファ、テーブルが紛失するだけでなく、利用者が減少していくので、被告は昭和四八年一一月一四日に至り、熊大の前記警告を無視して②の部分の出入口にドア、仕切りを設けたうえ、内部に装飾を施すとともに、新たらしくテーブル、椅子を搬入し(右警告を無視して設備工事をしたことは当事者間に争いがない。)、喫茶室として常時使用するに至つた。

以上の事実を認めることができる。

右認定事実によると、第二目録の①の部分および②の部分は、熊大の使用許可を与えられてはじめて正当に使用しうる権原を取得しうるところ、被告が熊大から明示もしくは、黙示の使用許可を与えられていないことは明らかである。そして、被告の無断使用がその動機として、熊大が昭和四四年以降第二目録の建物の整備をしないので同建物が荒廃しているということ、そのため第二目録の①の部分について同部分に置く被告の品物の盗難を防ぐという業務上の必要があり、第二目録の②の部分については、談話室としての効用を回復したものであつたということがあるとしても、右のような自力救済的占有を適法視することは到底できないから、被告の第二目録の①、②の部分の占有は権原に基づかない不法なものというべきである。

三そこで、損害額、遅延損害金について検討するに、請求原因七の2の(一)、(二)の数額および計算関係は当事者間に争いがなく、同(一)の金員は前記不法占有により生じた損害、同(二)の金員は同(一)の金員に対する遅延損害金として相当と認められる。

四よつて、被告は原告に対し、(一)第二目録の①の部分および②の部分を明渡す義務、(二)不法行為に基づく損害賠償として、(1)一二二万一六〇八円、(2)昭和五〇年八月一一日から右明渡済まで一か年七〇万三七六一円の割合による金員、(三)遅延損害金として(1)五万三一四〇円、(2)一二二万一六〇八円に対する昭和五〇年八月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による金員、(3)昭和五〇年八月一一日から前記明渡済まで一か年七〇万三七六一円の割合による金員に対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済まで民法所定の年五分の割合による金員の二分の一の金員および右明渡の日の翌日から支払済まで民法所定の年五分の割合による金員の、各支払義務がある。

第三水光費分担金および不当利得金並びにこれらに対する遅延損害金の各請求について

一請求原因八の1の事実のうち冒頭の事実、(一)の数額および(二)の数額、計算関係は当事者間に争いがなく、被告の水光費に関する抗弁が理由のないことは、前記第一の三の1の(一)において説示したとおりである。

よつて、被告は原告に対し、水光費負担契約に基づく水光費分担金として、九九万三一一一円並びにこれに対する損害金として、二七万六七九五円および九九万三一一一円に対する昭和五〇年四月一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による金員を支払う義務がある。

二つぎに、原告の不当利得返還請求について考えてみるに、熊大が第一目録の被告使用部分に関する新たな使用許可をしなかつたことにより、被告は昭和四五年四月一五日以降右使用部分の使用権原を失つたから、右使用許可に付属して締結された水光費負担契約(請求原因八の1の冒頭摘示の契約)も消滅したとして、被告が同日以降消費し、原告が電力会社等に支払つた金員を不当利得と構成してその返還を求めるものである。しかし、被告の右使用部分に関する使用権原が存続すること前記のとおりであるとすれば、右水光費負担契約も消滅するいわれはないことになるから、被告は右契約に基づき、電気、水道料の負担部分を原告に対して支払う義務があるけれども、右契約を前提としない不当利得の返還請求をうける筋合はないというべきであるから、原告のその余の主張につき判断するまでもなく、右請求は失当というべく、したがつて、右不当利得が成立することによつて発生すべき遅延損害金請求も理由がないといわねばならない。

第四よつて、原告の本訴請求は、所有権に基づく第二目録の①および②の部分の明渡、使用料相当損害金一二二万一六〇八円と遅延損害金五万三一四〇円の合計一二七万四七四八円および右遅延損害金を除いた一二二万一六〇八円に対する昭和五〇年八月一一日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の、昭和五〇年八月一一日から右明渡済に至るまで一か年七〇万三七六一円の割合による使用料相当損害金およびこれに対する昭和五〇年八月一二日から右明渡済に至るまで年二分五厘の、右明渡の日の翌日から支払済に至るまで年五分の各割合による遅延損害金の支払並びに水光費分担金九九万三一一一円と遅延損害金二七万六七九五円の合計一二六万九九〇六円および右遅延損害金を除いた九九万三一一一円に対する昭和五〇年四月一日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において正当であるから、これを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行宣言は注文第一項につき同法第一九六条を適用して(なお、主文第二項については、水光費の支払をめぐる本件事案の性質上仮執行を付するのは相当でないと考えられる。)、主文のとおり判決する。

(糟谷忠男 中野辰二 山口博)

第一目録<省略>

第二目録<一部省略>

熊本市黒髪二丁目四〇番一号熊本大学北地区

東光会館(通称学生会館)

一 鉄筋コンクリート造陸屋根二階建の建物のうち

一階ロビー 108.36平方メートル

二階談話室 116.16平方メートル

第三目録<省略>

図面(一)〜(九)<省略>

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